インド・カルカッタ紀行
その壱
【はじめに】
- 2月27日から3月6日まで、本当に駆け足で、
パキスタンのラホール、インドのデリー、アグラ、バラナシ、カルカッタを巡ってきた。
イスラムやヒンズーといった各宗派の伝統の中で、
亡くなった方を送る仕方はどうなのか、その聞き取りをしてきた。
またカルカッタでは、有名なマザーテレサの「死の家」などを見学した。
中でも一番印象に残ったのがマザーテレサの施設である。
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【マザーテレサの施設】
- 「死の家」とは、ホスピスの事で、カルカッタの下町、
雑踏の中の質素な古い教会の施設に
男女二十数名づつの、
重い病気の方々が横になっておられた。
もちろん十分なお金も無い所だし、
病院でもないので、
立派な医療施設といったものはないが、
心尽くしの清潔さの中で、
キリスト教のシスターやヴォランティアの人たちが、
毛布を運んだり、洗濯をしたりされていた。
その後、マザーのお墓と子供たちの施設を訪れた。
ここにも、重病の子どもたちの部屋があり、
産まれて間のないうちに放っておかれたのか、
骨と皮の新生児が点滴をされながら
ベッドに寝かされていたり、
大きなけがをした子どもたちもおられた。
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ただ、ここは病院だけでなく、いわゆる「孤児院」もあって子供たちの歓声にあふれており、
世界各地から届いた「差し入れ」の人形をもらって、はしゃぐ子供たちの顔がより強く印象に残った。
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【ヴォランティア】
- こんな有名な施設だから、
世界中から様々なヴォランティアが来られて仕事を手伝って
おられるのだが、その中に、日本人らしい青年も数人おられて
「へえ日本人もやるやん」と正直思った。
その中の一人の男性と少しお話をした。
「いつから来てんのん」
「インドには一週間前で、ここは三日前からです」
「ここに泊まっているの」
「いえ、町の安宿に泊まっていて、通ってきています。
十日ほどしたらブッダガヤへ行こうと思ってます」
「ヴォランティアなんでしょう」
「ええ、でも、ここは食事が頂けるので助かります」
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【軽やかさ】
- 彼と話していて、本当にうれしくなった。
僕たちの普段の思いでは、
インドのカルカッタのマザーテレサの、
そんな重い施設でお手伝いをするといったら、
なにか眉をつり上げ
肩肘張ってといった感じだろうが、
彼にはそんな重さは微塵も無い。
もちろん特別の技術もない
普通の学生さんだから、
そんな大層なことはできないけれど、
シスターの指示に従って毛布を運んだり、
また、教会で礼拝されたりしている。
その軽やかさが、何ともいえずいい。
本人は意識されてはいないだろうが、
その姿が
『手助けや人助けをすることはどうって事のない、
当たり前のことですよ』と言っている。
『日本にも、こういう若い人が出てきたんやな』
『この子たちが、年寄りになる頃には、
日本ももうチョットいい国になってるやろな』と
うれしかった。
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