インド・カルカッタ紀行
その弐
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If We really want God
to fill us, We must Empty ourselves through Humility of all that is Selfishness in US 訳:私たちが神に満たされる事を心からから望むなら、内にある利己心そのものを虚しくするまで、 自分自身を空っぽにしなければなりません。 ☆これは仏教でも全く同じ。信仰というのはこういうものやね。 ただ「空っぽにする」といっても自分でどうこうではない。 例えば「念仏申せ」という声に「念仏申す」、それは「空っぽ」だよね。 |
☆仏教にも「少欲知足」なんて いい言葉があるが、 こういうハッキリした表現は いかにもキリスト教のいいところやね、 ケレン味が無い |
Experience the Joy of Poverty. Poverty is not only Renunciation. Poverty is Joy. Poverty is Love. 訳:貧しさの喜びを経験しなさい。 貧しさは「捨てる」ことだけでなく、 喜びであり、愛でもあります。 |
not for What you Do or What you Give but because You are You. 何をするか、何を与えたかではなく、 あなたはあ なた自身であるという理由において。 |
☆これは「孤児院」の壁に書いてあった。 他から測られ、枠にはめられ、 その基準、評価を内在化して苦しむ現代人、 全てに必須な言葉。 「あなたはあなた自身であるという理由において、 存在する「 because You are You」 いいなあ。 お釈迦様の〜天上天下唯我独尊〜と同じ言葉だ。 |
It would be a real means
of bringging Peace and Happiness in the world. She spoke of the preciousness of life and the evil of abortion. of the spiritual poverty of the West which is loneliness. of the importance of prayer life and that love begins at home
☆これは、マザーのお墓のある家の壁に書いてあった。マザーを讃える言葉。 |
訳:私たちは、のどが渇いたものが水を欲しがるように、キリスト様を求めます。
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