名 前 清 史彦(きよし ふみひこ) 寺院名 瑞 興 寺(真宗大谷派−お東) 住 所 大阪市平野区平野市町三丁目四番十七号 T E L 06−6791−6215 F A X 06−6791−6265 E-mail vows@oct.zaq.ne.jp H P http://www.oct.zaq.ne.jp/vows |
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《私の葬儀哲学》 多くの方々をお送りしている、私にとって、葬儀哲学とは、私自身が、どのような願いをもって、葬儀を執行するのかという課題でもあります。 私は「仏教者」ですから、葬儀とは「仏(ぶつ)になる」ことを課題とする儀式です。この世のいのちを終えられた方が「仏」という存在になっていかれる。すなわち、残された我々からすれば「仏」という存在としての「その方」に出会っていく。そういう課題を頂く節目の儀式であります。 それでは「仏」とは、どういう存在なのでしょうか。それを三つの方向から述べてみますと、 1、諸仏のお一人になって、お釈迦様の教えを聞く者になっていかれる方。 私たち残された者の課題としては、「その方」の後ろ姿を見ながら「私たちもまた仏の 教えを聞かせて頂こう」という歩みが始まることです。 2、私たち残された者に向かって、いつまでも変わらぬ教えを残していった方。 いろんな事を成し遂げ、いろんな事を語り、その生を生きられた「その方」が、時には 「反面教師」ということもあるでしょうが、その生涯を通して、私たち残された者に教え て下さった、その教えを確認し心に刻むことが、私たちに願われています。 3、「この身を持って生きる」ことから生じる、様々な苦悩、煩悩から完全に解放された 方。 私たちが「この身を持って生きる」ということは、いろんな限界をもっているということ です。「老い」や「病い」や「生活」の中で、身を煩わし、心を悩まし、うまく行っている と思えるときも「あれもしたい、これも欲しい」といつも欲望に引きずり回され、そんな 思いで我が身を縛っています。そんな「思い」から完全に解放された方が、私たちの 前におられるのです。 《葬儀の形態》 「成仏」を表現できれば、どのような形式でもかまいません。一般に「当たり前」とされている「お葬式のしきたり」には、よく考えれば変なことがいろいろあります。 一人の人間のかけがえのない人生の最後の「一大事」を、単なる「しきたり」や「マニュアル」に任せるのではなく、「私はこんな形で去っていきたい」「私は、このように親を送りたい」という気持ちを形にあらわすことが大切です。 そのための、相談なら、いくらでもお受けいたします。 《自己アピール》 1952年 大阪生まれ、大阪育ち。お寺の生まれではなく、妻の実家のお寺を継いでいます。29歳のときに会社を辞めて、お坊さんの学校へ行き、そこで親鸞に出会いました。 お寺のいろんな活動に加え、「仏陀を背負いて街頭へ」を願いに「いのちが水平に出会う場」としての「坊主バー」を、大阪ミナミ、東京四谷荒木町で主宰しています。 詳しくは、HPで見て下さい。 |
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[私のお寺で行えるお葬儀費用の目安] ◎お布施(お布施の意味は、このHPの「お布施を考える」を先ず読んで下さい) |
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◇お葬儀は本来、少なくとも1ケ寺(導師・伴僧)で勤めるもので1人2役を兼ねて勤めるようなことは特別なことです。大きな葬式では2ケ寺(導師・脇導師・伴僧)3ケ寺といったこともあります。 ◎本堂使用料 1泊2日 5万円〜15万円 ◎葬儀料(お葬儀屋さんの支払い) 13万円・18万円・28万円(大阪市規格葬儀)〜∞(上限なし) |