年頭の挨拶
2013年 年頭の挨拶
有漏の穢身はかはらねど
こゝろは浄土にあそぶなり
昨年は、この言葉は、親鸞聖人の『帖外和讃(じょうがいわさん)』と呼ばれる和讃の一節です。「有漏」とは「煩悩(ぼんのう)」のことです。
が、それが、「漏れるものが有る」と言い表されるのが面白いですね。「漏れないでおこう、漏らさな
いぞ」と頑張るんだけれど、ついつい「漏れてしまう」ということです。
さて、私たちが毎日の生活の中で、漏らしているものは何でしょうか? それが「煩悩」!
少し順調にいくと調子にのって、「もっともっと」と欲をつのらせ、思うように行かないと、「世の中が悪い、あれがなっていない」と他者に怒りを向け、他人がうまくいくことを見ては、「何であんな奴が!」と愚痴(ぐち)をこぼす。まさに煩悩熾(ぼんのうし)盛(じょう)―身を煩(わずら)わし心を悩ますことが熾(も)え盛(さか)っているーです。
でもそんな残念な穢身であっても、「ナンマンダブツの一言で、心は悠遊(ゆうゆう)と浄土に遊ぶことができる」と、親鸞さまは言われるのです。「誰が見捨てても私は見捨てない」― 大きな安心です。
折から、私たち大谷派宗門にとって、その命とする信仰運動「煩悩の身を教え、そんな私を根本から解放する、同朋会運動」の新たな五〇年の再出発の年です。日本の国にとっても、いのちを愛で
たい国になっていけるのか、大切な再出発の年です。暮れに動き出した、新政権の勇ましさに危惧を感じつつ、また自分の身の回りにも、残念な事は多々ありますが、大地を信頼し、地を這う巳のように、粘り強く、着実に前へ進みたいものです。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
二〇一三年 元旦 瑞興寺住職 清 史彦(法名 秀顕)