今、世界は! 〜テロと報復〜その1

顧倒 2001年10月 No.214号より掲載

2001/9/22 朝日新聞より掲載↑
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【同時多発テロ】
9月11日、忙しく過ごしていた日々の一瞬、テレビの画面から、
ビルに飛びこんで来る旅客機の映像が飛びこんできた。
しばらく画面に釘付けになっているうちに、映画の一場面のようにビルが崩れ落ちる。
怒りを感じるどころか、驚きと、まさに映画をみるような非現実感。
それは、遠いアメリカの出来事だからではない。
デジャブのように僕の中の6年前の阪神大震災の時の記憶が浮かぶ。
知り合いをたずねて尋ねて大渋滞の車にいたときに、
直ぐ横の家が燃え出して飛び出してきた。
それでも、助けに行くなんて思いもつかず、ボーッっと映画をみるように燃える家を見ていた。
仏教では「同苦」とか言って「他者の苦しみを知って、同じく苦しむ」という「教え」があるが、
そんな境地から「千里遠い」僕が、そこに居た。


【大都会】
 その非現実感とは何かと考えてみると、大都会にの問題に行き付くのではないか。
そもそも、高さ400Mを越える鉄骨とガラスのタワービルなんてものが、
既に十分に非現実的なものなのではないか。
大震災のときもにも「これは年の問題だなあ」と思ったが、テロもそうであろう。
モンゴルの大平原で大地震が起こっても一人も死ぬ人はいないように、
テロだって、都会だからこそ標的になりうるのである。 
子供の頃に読んだ手塚治虫の漫画に、世界中が核戦争で滅び、
人間は、東京、ニューヨーク、北京、モスクワ、ロンドンに立つ、
巨大なビルの中だけで生き残っているという物語があったが、
あの世界貿易センタービルの中だけで、五万人の人が働いていたという、
一つの市ができるだけの人が働いているビル。
やっぱりやりすぎだったのではないか。
 他の人も言っていたが、崩れ落ちるビルを見て、
僕も瞬時に旧約聖書の「バベルの塔」の話を思い出した。
「その昔、人々は皆一緒に働いていた。
そのうちに、天にいる神に近づこうと高い塔を建てだした。
もう少しで天に届くきそうになった時に、神の怒りに触れて塔は崩され、
世界の人はそれぞれ言葉が通じなくされ、いがみ合いだした。」という神話である。
怒りとか報復とか、とても思えず、
事件に現代の人の奢りを見ている僕は、チョットへんなのだろうか。



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