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混迷の今に在って

自分自身を確かめたい

永遠の時、

無限の拡がりの中

此処、瑞興寺で

法要(式典+講義)が

執り行われます。

 

しずかなる 老は来らず
大き問い 夢にも顕(た)つは
 執か謝念か
         [しげし]

かけがえのない人生の

たしかな道しるべが

そこにある。

みんなと誘いあって

この寺(瑞興寺)に

お参りしましょう。

和田しげし師のことば(2)

永代経法要(1998.4.29)の法話より

 

私は何のために生まれてきたのか。どんな意味があるのか。
それが人生の最大の問題だ。
と常に語り合っていた人達がおられた。それが真宗門徒です。

誰でも一度くらいは中高生の頃に、今一番問題だと言われている年頃ですが、その頃にそんな事を感じたことがあったでしょう。

それが大人になって一番大切な問題を忘れてしまった。
「これがシャバや、人間や」と片付けて平気で生きております。

私達の日常は、「私」があらゆることを問うている。政治が、大蔵省が、学校が、中学生がどうのこうの。

ところが、問うている「私」が問われる。そういうことが最近あまりなくなっている。

真宗門徒は何かにつけて「ナンマンダ仏」と口にしてきた。大きな問いです。

その度に、「お前はそれでよいのか」「このままでよいのか」と私を問うてきます。

現在、私達は、無意識の内に、今の時代が人類の歴史の一番発展した段階だと思っていませんか。
昔の人は、飛行機もテレビも新幹線も知らないんだからと。

「親鸞に学ぶ」と言ってはいるけれど、その言葉を自分の都合で、自分の納得できるように解釈し説明しているだけではありませんか。

本当に親鸞聖人のことばに触れ、真実の如来の本願と言われた、その願いに生きる身となったという感動のことばを最近はあまり聞きません。

学ぶ場所はいっぱいあるけれど、解釈・学問になってしまっている。
そして、「今日の話はようわかった」と。

話が分かって「願」が目覚めますか。話が分かって、たすかりますか。

「真宗」というても、日本人の宗教やと思っている。

親鸞さまが浄土真宗とおっしゃるとき、それは「三国の七高僧」の、すなわち全人類の全歴史をつらぬいて、今も、私に呼びかけ働き続けている。それが真実です。

しずかなる 老は来らず 大き問い 夢にも顕(たつ)は 執か謝念か 

                              [しげし] 

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