瑞興寺

<真宗大谷派 瑞興寺>(ずいこうじ)
住所:大阪市平野区平野市町3-4-17
編集:瑞興寺住職 清 史彦(法名 釋 秀顕)

2021年 年頭の挨拶

十 牛 禅 図(じゅうぎゅうぜんず)

牛年 今年の年頭の言葉は禅宗の言葉です。人の悟りにいたる十の段階を、十種の「牛と牛を追う牧人の姿と詩」で表した図絵のことです。 「真の自己」が牛の姿で表され、「真の自己」を求める「私」は牧人の姿で表れされます。 image


 「真の自己」が牛の姿で表されるのは、インドの聖なる牛の伝統や、農耕を主とする中国での牛の大切さなどが関係していると言われています。さらに大事なことは、 その「十牛禅図」の物語、すなわち、野牛を捕まえて牧(か)い慣らしてゆく、牧人と牛との動きのある関わりが、「自己の、真の自己への関わり」の具体的な 譬えになっている点であるとも言われます。

 私(住職)が注目したのは、その第九・十番目の図絵の詩です。そこには次のような趣旨の言葉があるのです。
署名 「真の自己を外に求めて遍歴を重ねたけれど、結局それは、今の私の処にしかないことに気づいた。 そして、これまでの普段と変わらない在り様で町に出て他人(ひと)と接して往く。 身なりにこだわらず、威厳も無く、佛教の戒である、お酒も飲むし、魚も食べる。そうして、 出会った人の考えや行いに影響を与え、同時にそれは自分自身にもはね還り、 自身の充実につながっていく」と。
これなどは、親鸞の浄土真宗の教えとも近い、誰もの道しるべでもある言葉でしょう。

 昨年は、コロナ禍に終始した大変な年でした。コロナへの対応を観ると「人間とは一人ひとりが、いかに違うものか」と痛感します。今年は何とか、 今此処に在る私に立って、牛のように、ゆっくりと着実に歩みたいと思います。これからも、相変わりませず宜しくお願い申し上げます。

image 十牛禅図

十牛の図(上の絵) 解説
1.尋牛=仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況。人には仏性が本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別の世界に陥って仏性から遠ざかる。
2.見跡=経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない。
3.見牛=行においてその牛を身上に実地に見た境位。
4.得牛=牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます。
5.牧牛=本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる。
6.騎牛帰家=心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない。
7.忘牛存人=家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる。
8.人牛倶忘=牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる。忘れるということもなくなる世界。
9.返本還源=何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る。
10.入鄽垂手=悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある。

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