瑞興寺

<真宗大谷派 瑞興寺>(ずいこうじ)
住所:大阪市平野区平野市町3-4-17
編集:瑞興寺住職 清 史彦(法名 釋 秀顕)

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「遠くへ行きたい」第2回―袋井

※各写真をクリックすると説明付きの拡大画面になります。

京大ラグビー部百周年

 2022年12月24日 クリスマスイブの日に、私(住職)が大学時代に青春を費やしていた、ラグビー部の百周年記念の東大戦が、静岡県の浜松の少し東の袋井にある 「エコパスタジアム」で開催され、観戦応援に出かけた。このイベントは、1月16日の関西テレビのニュースでも取り上げられた。

Xmasラグビー祭inエコパスタジアム

フライヤー  会場の、エコパスタジアムは五万人収容で、2019年のワールドカップで、日本がアイルランドに初めて勝った、記念すべき立派な競技場。 しかも、静岡県ラグビー協会主催の「クリスマス・ラグビー祭」のメインゲームとして行われるという、少し面はゆい設定であった。
 なぜこんな企画になったのかというと、普通なら、百周年記念試合は、花園とか西京極といった、大学の近くの良いグランドで開催するものなのだが、花園は、高校ラグビー大会が12/27からあり、その準備で使えない。 西京極も整備の都合で使えない。と困っていたところに、静岡県協会から提案があり、その企画に乗せて頂いたのだ。関西のOBからは不満の声もあったが、東京からは近いので好評だった。 女子選手 12/24当日は、朝9時から、サブグラウンドで、女子のセブンス(7人制ラグビー)の試合が始まり、3つのトップチームが集まって三つ巴で試合を行った。女子とは言え、いかにもラグビー選手っぽい、しっかりした身体になっている娘もいた。
サンタ帽  その合間には、京大東大のOB戦が、シニア戦、若手戦と行われ、我々年配OBは、世話役を勤め、サンタ帽で一般の入場者の受付をした。
 その後、昼食に地元の弁当を食べ、午後のメインスタジアムでの一軍戦二軍戦とラグビー漬けの一日だった。

旧袋井宿

旧袋井宿  前日12月23日に東海道五十三次のど真ん中、旧袋井宿を散歩した。「ど真ん中」と言われるのは、 そのまま、江戸から数えても京から数えても27番目で中間点にあたるからで、他の宿場より少し遅れて元和2(1616)年頃に整備されたという。 現在の静岡県袋井市中心部にあたり、宿場町としてだけでなく、周辺に遠州三山をはじめ歴史ある寺や神社が点在し、それらのいわば門前町としても栄えたようだ。
 しかし、旧袋井宿をウロウロと7キロほど、2時間ほど歩いたが、看板に「東海道ど真ん中」と誇らしげに書いてある事が悲しくなるほど、一般の古い家などは全く残っていない。100〜150年という時間の無慈悲さを感じる。参勤交代の際に大名が泊まる「本陣」が三軒あったというから、さぞや当時は栄えていたのだろうが、全くその面影は残っていない。かろうじて、江戸時代からの仕事が続いているのではと思われる家が2軒だけあった。それは、麹屋さんと旅館。しかしそれらも家屋は新しい。古くて残っているのは、お寺と神社と、そしてお祭りくらい。お祭りの山車の立派な庫が、そこここにあった。

お医者さんの記念館

記念館  唯一、近代化遺産として、一軒、お医者さんの記念館が残っていた。江戸時代からの医者で、江戸末期、明治、大正と建てられてきた建物が保存されていた。旧袋井宿で見るべき建物は、これだけだった。
 ふわふわ玉子  一方、良かったのは昼ごはん。江戸時代からの名物という「ふわふわ玉子」と地魚の海鮮丼を楽しんだ。こう観てくると、建物といったハードではなく、食べ物、祭りといったソフトは残るのだと解る。

何故古い建物が残らないのか

 考えてみる。いろんな理由があると思うのだが、先ずは袋井が中途半端に開けていた事が主 な要因だろう。日本で古いものが多く壊されたのは、昭和40年代の、いわゆる「高度成長」の時代である。 大阪などでも、その頃、家の木造の塀などが軒並みコンクリートブロックになったり、木造の家なのに、前方だけにビルのような外壁を付ける事が流行った。 戦後のアメリカかぶれの風潮もあって、そんなことがもてはやされたが、今となっては、誠に無様な姿をさらしていたりする。
旧大内宿  袋井宿などは、そんな流行で壊されていったのだろう。それらに比して、中山道の旧妻籠宿、旧馬籠宿や福島県会津の旧大内宿などは、昔の宿場町の風情がそのまま残り、現在は観光地として有名である。 これらはどこも山の中であり、高度成長の嵐を受けなかったのではと思われる。

日本人の「流行かぶれ」

 日本人の「流行かぶれ」を観てみると、最大のものは「明治維新」だろう。「江戸のもの、日本のものは全てダメで、西洋のものが良い」と突っ走った。 浮世絵などはその典型で、現在は高い評価を得ている葛飾北斎の「北斎漫画」は、江戸末期から明治初期に欧州へ輸出された陶器の包装材として使われていたという。
フェノロサ  もっと酷いのが「廃佛毀釈(佛教を廃し釈迦を毀す運動)」で、奈良の興福寺などは現在は国宝の五重の塔が競売にかけられ「25円で落札」されている。 落札業者は塔を燃やして、残った金属を売ろうとしていたそうだが、周囲の住民の反対により、からくも文化財として残ったのだ。 そのように、どれほどの貴重な佛像などが捨てられたか数えしれないほどなのだ。海外にも大量に流出した。それを留めてくれたのが、フェノロサなどに代表される外国人だったのだ。

我らの平野郷の値打ち

旧平野郷の古い屋敷  そう考えてくると、瑞興寺の在る大阪の旧平野郷は大したもんやないかと再認識する。お寺や神社は当然としても、それ以外でも100年前の一般の建物がまだ結構残っている。大事に伝えて行きたいものだ。


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