歎異抄(0)

■ 序 ■
〜異なるを嘆く〜

 ○【序】
竊回愚案、粗勘古今、歎異先師口伝之真信、 思有後学相続之疑惑、不依有縁知識者、争得入易行一門哉。全以自見之覚悟、莫乱他力之宗旨。 仍、故親鸞聖人御物語之趣、所留耳底、聊注之。 偏為散同心行者之不審也云々

【住職による現代語訳】
いろいろ考えを巡らせて、だいたい親鸞聖人の時代から今までを観てみると、師が直接、説いて下さった真実の信心と 異なるものの有ることは歎かわしく、後々の疑惑となるだろうことを悲しく思う。有り難いことに、ご縁のあった師の教えに依らなければ入り難い易行の法であった。それを全く自分勝手な見解でもって、他力の宗旨を乱してはならない。よって親鸞聖人が語って下さった事の趣意で耳の底に留まっているものを少し記すことにした。ひとえに同じ心で道を求める人々の不審を 解消しようとしてである。 
                

<読み下し文>
ひそかに愚案を回らしてほぼ古今を勘ふるに、
先師の口伝の真信に異なることを歎き、
後学相続の疑惑有ることを思ふに、
幸ひに有縁の知識によらずんば、
いかでか易行の一門に入ることを得んや。
まつたく自見の覚悟をもつて他力の宗旨を乱ることなかれ。
よつて故親鸞聖人の御物語の趣、
耳の底に留むるところいささかこれをしるす。
ひとへに同心行者の不審を散ぜんがためなりと云々。


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<住職のコメント>

歎異抄を初めて目にしたのは、十九年前、浄土真宗のお坊さんになろうとして、京都にある大谷専修学院という一年間の全寮制の専門学校に入ろうとしていた時だった。
親鸞の「し」の字も知らぬまま、とにかく読んでみたことを覚えている。
「念仏以外何も要らない」「善や悪なんか知らない」「私は地獄落ちだ」「悪人こそ救われる」「阿弥陀佛は私の為に願いを立てて下さった」等々、ビックリする言葉が並んでいる。何が何だかわからないけれど「親鸞ってすごいやつやなぁ」「こんな人が、この日本にいたんやなぁ」という感動がそこにあった。


―――以上『顛倒』99年3月号 No.183より―――


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