■第二章■ ・・・その1・・・
〜ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし〜
○【第二章】その1 おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。 しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。 もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たちおおく座せられてそうろうなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。 親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。 |
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○<住職のコメント> 『ただ念仏』。また謎の言葉である。 一般には『とにかくナンマンダ仏と言うてたらええ』と受けとられがちだが、それで済んでいるなら謎でも何でもない。 親鸞さんは『南無阿弥陀佛だけが唯一絶対なのだ』と言われているのだ。 「お金も大切、人の評価も大事、地位も名誉も欲しくてそして念仏も有難い」なんてエエかげんなことでなく「念仏だけや。他は無くともよい」とおっしゃる。 そんなスゴイ『南無阿弥陀佛』ってイッタイ何や! |
―――以上『顛倒』99年5月号 No.185より―――
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