■第二章■ ・・・その3・・・
〜面々の御はからいなり〜
○【第二章】その3
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○<住職のコメント> まあ、また例によってムチャクチャなことを言う人である、親鸞という人は。 だって本文の趣旨は「ある人の言う事が本当だから、 その人はウソをいってない」と言っているのと同じではないか。 こんなもの、理屈でも論理でも何でも無い。 しかしもう一度考えてみよう。 もし、あなたが誰かに「真実に生きよう」と呼びかけられたとしよう。 その時、あなたはどう反応するだろうか。 「何をアホなことを」と歯牙にもかけないか。 はたまた「なにが真実なのか」とか考えるかもしれない。 後者の場合、その自分の答えに納得できればうなづくだろう。けれど、 それなら、どちらにしても自分自身の「思い」によってイエス・ノ−を言っているのであり、 それは自分の考え(判断)であって、真実そのものでは無いのではないか。 ここで問われていることは、理屈ではなく、 唯「真実あり」と言い切れるのか、否か。であろう。 |
―――以上『顛倒』99年7月号 No.187より―――
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