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【住職による現代語訳】「浄土往生の信心は唯一つです。」と親鸞さまは返答されましたが、なお「どのような根拠でそう言うのか」との疑いの非難がお仲間からありましたので、詮じ詰めれば法然上人の御前に於いて、自分と他者のどちらが正しくてどちらが誤りか決めましょうということで、論争の内容を法然さまに、事細かく申し上げましたところ、法然さまはの仰せには、 「源空(法然)の信心も阿弥陀如来より賜った信心です。そして善信房(親鸞)の信心も阿弥陀如来より賜った信心です。ですから浄土往生の信心は唯一つです。別の信心を得ておられる人は、源空が参ろうとするところの浄土へは、まさか参りなさらない無いでしょうね」と言われたそうですが、法然上人の御在世の当時の、一向に専ら念仏を修する人々の中にも、親鸞さまの御信心と同一でない、自分なりの信心の人もおられたのだなぁと分かります。 |
○<住職のコメント>先日、ある若い女性から「如来なんてニョロイみたいで語感が悪いし、少しでも知っている人でも、せいぜいが仏像を連想するくらいでしょう。何かよい言い方はないんですか」と問われて、それこそ「ギャフン!」明治の大先輩、清沢満之(まんし)は「絶対無限の妙用(みょうゆう・はたらき)」と言うんだけど、より分からんような気もする。「意味の分からん言葉が、分かろうとする出発をうながす」とか僕はモゴモゴ応えたが。坊さんの仕事だよね。 |