歎異抄(49)
■承元の法難(念仏断圧)の記録■ ・・・その2
〜僧に非ず俗に非ず 禿の字をもって姓と為す〜
【歎異抄・承元の法難(念仏断圧)の記録】その2
被行死罪人々。
一番 西意善綽房
二番 性願房
三番 住蓮房
四番 安楽房
二位法印尊長之沙汰也。
親鸞改僧儀賜俗名、仍非僧非俗。
然間以禿字為姓被経奏問畢。
彼御申状、于今外記庁納云々
流罪已後愚禿親鸞令書給也 右斯聖教者、為当流大事聖教也。
於無宿善機、無左右不可許之者也。
              
釈蓮如御判


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【住職による現代語訳】
 死罪を被った人々は、一に西意善綽坊、二に性願坊、三に住連坊、四に安楽坊、である。二位の法印殿の決定であった。
 
 親鸞は僧の身分を改めて俗名を賜りました。だから今や、身分としての「僧」ではありませんが、同時に自覚的には、「俗」でもありません。ですから暫らくの間、「禿」の字をもって「姓」と為して、上皇への奏上を受けましょう。彼の申し状は、今の役所に納められるでしょう。
 この流罪事件の後、親鸞さまは「愚禿親鸞」と署名されるようになった。  以上の聖教は、当流の大事な聖教です。(当事の教えを)よく心得ていない方々には無闇にみせてはいけません。
                       
釈 蓮如 御判


<住職のコメント>
           瑞興寺所蔵掛軸 瑞興寺所蔵掛軸             親鸞さんの考えを一番よく表現しているとされ、現代において、多くの人々の必読書となっている。この「歎異抄」の最後に「死罪の記録」が書き加えられている事には、本当に身の引き締まる思いがする。「浄土真宗の教えを、このシャバ世間において生きようとする事は、生易しいことではないぞ」と私達一人一人に厳しい覚悟をせまってくる。 
 その具体的な姿が「非僧非俗」という有名な言葉で表されている。思えば「僧」とは、国家に身分を保証された者であった。そしてそれは今も「宗教法人法」という形で生きている。更に何より私たちの教団の中で「寺族」という言葉が今も生き残っている。そんな国家や、生まれつき与えられたような「僧」を捨て、かといって「俗」そのままでもない。この濁世間にあって、「真実に生きよう」と阿弥陀仏の願いを、我が願いとして担う、一人の主体の誕生が宣言されている。

―――以上『顛倒』03年9月号 No.237より―――

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