歎異抄(10)

■第六章■その2 ・・・
〜つくべき縁あればともない、        
            はなるべき縁あれば、はなる〜

【第六章】その2
つくべき縁あればともない、はなるべき縁あれば、はなるることのあるをも、師をそむきて、ひとにつれて念仏すれば、往生すべからざるものなりなんどいうこと、不可説なり。
如来よりたまわりたる信心を、わがものがおに、とりかえさんともうすにや。
かえすがえすもあるべからざることなり。自然のことわりにあいかなわば、仏恩をもしり、また師の恩をもしるべきなりと云々



                     インドにて撮影
 【住職による現代語訳】

人や物事の間柄は、つくべき縁(条件、状況)があれば、伴うし、離れるべき縁があれば、離れるのが本来なのです。
なのに、「師にそむいて、他の人に従って念仏すれば、往生することはできない」などと言うことは、もってのほかのことです。 
 阿弥陀如来より頂いた信心を、私のものだと、わがもの顔で、取り返そうと言うのでしょうか。かえすがえす、あってはならないことです。
 自然の道理に出遭えば、仏の御恩を知り、 師の恩も分かるようになるのですから。

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<住職のコメント>
お坊さんをやっていると、いろんな相談を受けることがある。
中には離婚ウンヌンということもあるが、ほぼ必ず「わかれなはれ」と応える。
お金のからむことには、「あまり無理せんように」と応える。
あんまり為になる答えではないようだが、落ち着く所に落ち着いていく。
今時だから、ご門徒でも、友人でも『バツイチ』がおられるが、おジイちゃんが孫の面倒見たりしてなかなかほほえましいこともある。
まあ、いらん計らいは捨てた方がエエネ。


―――以上『顛倒』00年2月号 No.194より―――


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