○【後序】その1
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- 右条々はみなもって信心のことなるよりおこりそうろうか。故聖人の御ものがたりに、法然聖人の御とき、御弟子そのかずおおかりけるなかに、おなじく御信心のひとも、すくなくおわしけるにこそ、親鸞、御同朋の御なかにして、御相論のことそうらいけり。そのゆえは、「善信が信心も、聖人の御信心もひとつなり」とおおせのそうらいければ、勢観房、念仏房なんどもうす御同朋達、もってのほかにあらそいたまいて、「いかでか聖人の御信心に善信房の信心、ひとつにはあるべきぞ」とそうらいければ、「聖人の御智慧才覚ひろくおわしますに、一ならんともうさばこそ、ひがごとならめ。往生の信心においては、まったくことなることなし、ただひとつなり」と御返答ありけれども、
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