歎異抄44
後序 ・・・その5
常にしずみ、常に流転して、
出離の縁あることなき身としれ
【後序】その5
・・・・御述懐そうらいしことを、いままた案ずるに、善導の、「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」(散善義)という金言に、すこしもたがわせおわしまさず。されば、かたじけなく、わが御身にひきかけて、われらが、身の罪悪のふかきほどをもしらず、如来の御恩のたかきことをもしらずしてまよえるを、おもいしらせんがためにてそうらいけり。


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【住職による現代語訳】
親鸞聖人がしみじみ言われた事を、今また考えてみますと、それは善導大師の仰った、
「私自身がは、罪作りな心でもって悪い行いをなす、迷いの生き死にの世界を離れられない愚かな存在であり、久しく遠い昔からずっと常に悪行に沈み、常に流れ転がり安住する事のない、そんな迷いの世界を離れる事などない存在である事を思い知りなさい」という尊い言葉に、少しの違いもありません。
 だから、有り難くも、親鸞聖人ご自身の事として、
「私たち自身が、我が身の罪悪の深さも知らず、真実の世界から頂いている御恩の高さも知らないで、迷っている事」を、思い知らさんがために、仰っていられたのです。


<住職のコメント>
 先日大阪市の公園局の職員と大喧嘩をしてしまった。顛末は次のようなものだ。お寺の山門の前の街路樹はの低い植え込みに本来は、ヒラドツツジが植えられていたが、何度も春に植えては、夏に枯らす内に、土に含まれていた根っこが芽を吹いていつの間にか笹が茂るようになっていた。僕は時々笹を刈り込んで姿を整えて『ウンこれでいいな』と一人悦に入っていたのだ。それが数日前突然刈り取られて土まで掘り返そうとショベルローダーまで用意されているではないか。僕はそれを見た途端「アホな事をするな、止めてくれ」と抗議した。彼らは「それでは『管理』ができない。予定に従ってヒラドツツジを植える」と言うではないか。それを聞いてキレてしまった僕は「管理ィッ〜!!毎年夏に枯らしといてその後もずっと枯木のままやぞっ、笹の方がナンボかマシや。管理もできんもんがエラそうに言うな!」と怒鳴ったのだ。それから十日、動きは無い。人間の『凡夫性』とか『善人の持つ問題性』とか、考えさせられる出来事だった。

―――以上『顛倒』03年4月号 No.232より―――

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