○【後序】その8
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【住職による現代語訳】これまで述べてきたことは、単に自分勝手な言葉ではないとはいっても、経典やその解釈書の筋道も知らず、仏法の言葉の深い意味も心得分けている私でもありませんから、きっとお笑いの事かも知れません。が、今は亡き親鸞聖人の仰った趣旨の百の内ひとつでも、わずかばかりを思い出しながら書き付けました。 |
○<住職のコメント>遂に『歎異抄』の最後の章になった。1999年の3月号から読み始めて、コツコツ書いてきたが、「もう4年半になるんやなぁ」という感じだ。思い起こせば、その間にも、いろんな事があった。個人的に大きな事は、本山の議員のになった事か。それもそろそろ丸二年となる。「早いものだなぁ」。そうそう東京坊主バーも三年目を迎えている。出会いもあった、別れもあった、裏切られたなぁという思いをすることもあった。ただ五体を地に投げて嘆く時もあろう。そしてまた「それは自分のコントロールできない事だから」とよくイチローが語るように、如意なるものと不如意なるものを、しっかりと見極めて自分を律していけることもあろう。「異なるを嘆く」という視点を自分に向けて、大切に保っていきたいものだと願っている。 |