正信偈講話

『顛倒』連載版〜2014年11月開始〜


 
『顛倒』連載 第五回
今月は、国土人天之善悪に注目します。

token 「天」は、人間の在り様です。「有頂天」という言葉があります。 あらゆる物事がうまくいって舞い上がっている姿のことで、「天人」とは、舞い上がって、 後は落ちるだけの人間の姿です。 人間の思い通りにする事が善い事だと、その思いをある程度まで実現してきた、現代の人間の姿そのものと言えます。
「国土」と「人天」の言葉が並ぶのも、注目です。「身土不二」という佛の真実の言葉があります。 身=人間と土=世界は一連のモノだ。という意味です。
その事実に反して、私たちは、「私=自」と「他」とを切り離して(分別)考えがちですが、 「自他一如」と佛語にあるように、実は、それは一つのモノなのです。 原発事故で広範に国土を汚染して、人間が住めない環境を造りだしてしまった事も、 人間の行い(業)の結果であり、まさに、天人が、そのような国土を造りだしたわけです。
身土不二、自他一如の実例と言えます。

次は、「善悪」です。 親鸞聖人が、一番注視されている事が、この「善し悪し」です。 親鸞の思想は「悪人正機」という一言で表現されますが、それは、私たち人間の善悪の意識をひっくり返す思想です。 『歎異抄』でも、多くの言葉で「善悪」に関して語っておられ、 人間がいかに、人間の創った「善悪」に捉われて迷っているかが、繰り返し、巻き返し説かれます。挙げてみましょう。

弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。
ただ信心を要とす・・・本願を信ぜんには、他の善も要にあらず
念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず
弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに 
    【第一章】

善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。
そのゆえは、如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、
よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、
あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、
よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、
ただ念仏のみぞまこと
にておわします
       【後 序】

 最初と最後の部分である事も象徴的ですが、まさに『歎異抄』の真髄です。 と同時に、親鸞の思想の飛び抜けて受け取り難いところでもあります。 だからこそ、蓮如上人は、この『歎異抄』を禁書にしたのです。 だって、「善い事をして悪い事をしない」事は人間が生きる上の基本ですから。 「善悪を知らない」なんてとても受け取り難いことです。でもその人間の常識をひっくり返すのが親鸞なのです。
 この善悪の問題は、実は、世の中のことで見ると観えやすいのです。 原発は善い事、悪い事?積極的平和主義は善い事、悪い事?どうですか? 善悪がいかに判らないかが、よく分かるでしょう。 しかしそれは、人間の善悪です。親鸞は「如来の善悪」を言われます。 ただ念仏のみぞまことであると。永遠無限の視点から観た善悪に従いなさいと。

―――以上『顛倒』15年4月号 No.376より ―――

          

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