五濁悪時群生海今月は、言葉の意味をひとつひとつ当たりましょう。

五濁(ごじょく)は、劫濁、見濁、煩悩濁、衆生濁、命濁という、この世に表れる五つの汚れの事で、『佛説阿弥陀経』に出てきます。
劫濁(こうじょく)「劫」は、「時代」という意味ですから、「時代の汚れ」です。
具体的には、疫病や飢饉、動乱や戦争など時代そのものが汚れる状態ですが、
何故そのように時代が濁るのかと言うと、
以下の四つの濁りが時代を濁すからだと佛は教えます。
見濁(けんじょく)「見」は、「見解」で人間の考え方や思想の事です。
邪悪で汚れた考え方や思想が常識となってはびこる状態です。
まさに今の世界の様子です。
嘘を嘘とも思わず大声で喚き散らす大統領。本当に幼稚な姿です。
一方、イデオロギー(主義)に囚われて、
「人間は神が創った」なんて信じている人々が世界には何千万人も居るそうです。
「見濁」そのものです
煩悩濁(ぼんのうじょく)は、煩悩による汚れという事で、欲望や憎しみなど、 人間の煩悩によって起こされる悪が横行する状態です。
煩悩は微妙な言葉です。 私たちは煩悩と聞くと、何か悪い事であるかのように、 煩悩を減らしたり、断ち切ったりして良いものになろうとします。 が、そんなことは不可能なのです。 人間が生きるという事自体が煩悩なのですから。 では、何もする意味が無いのか。 そうではなく、煩悩の質は変えうるのです。 例えば、欲望は煩悩ですが、貪欲という貪る欲から、 意欲という何事かを成そうという欲に変える事は出来るのです。 親鸞も「煩悩の林に遊ぶ」という表現を、 この正信偈の後の部分で仰っています。

衆生濁(しゅじょうじょく)は、衆生の汚れという事で人間のあり方そのものが汚れ、 心身ともに、人びとの資質が衰えた状態に成る事ですが、これも現代社会の事です。 時代社会が濁るのは、他でもないそこに生きる人間の思想が、 行動が、存在が濁るからです。が同時にそれは、時代社会の問題と言っても、 人間の問題なのだから、人間の力によって変えうる事もできる、と解ります。
命濁(みょうじょく)は、命の汚れですが、それは自他の生命が軽んじられる状態です。
元々の意味は、人間の寿命が短くなる事ですが、現代では、
命の年数が短くなる事以上に、精神の豊かさが薄らぐ事でしょう。
先日、過労による自殺が問題になりましたが、まさに人の命が軽んじられ、
生きていく事の意義が見失われ、有難さが実感できなくなり、
人びとの生涯が充実しない空しいものになっている、そんな状態です。
そんな悪時を生きる私たちを、親鸞は「群生海」と喩えます。
海は「深く広い」ですが、そこに群がって生きている人間、
独立しておれず互いに掴み合いながら溺れて沈んでいく。
しかし悲観ばかりではありません。海とは「豊かさ」の象徴でもあります。
次に続く言葉がその転換のカギとなるのですが、それは3月号で述べましょう。―――以上『顛倒』2017年2月号 No.398より ―――

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