正信偈講話

『顛倒』連載版〜2014年11月開始〜


 
『顛倒』連載 第三十二回

 読み下しは「信を獲て見て敬い  大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超載す」です。

今月は、言葉の意味に深いものがたくさんあります。一つーつ当たります。



 
獲信 ぎゃくしん
「信心獲得」を略して「獲信」です。

「獲得」は、「獲物を得る」ですから、今まで自分のモノでなかったものが、自分の物になる事で、親鷺さまの教えに特徴的な要点です。一般に「信心」と言うと、「信ずる者は救われる」とか言って、「この私が信じる」と受け取っている方が多いですが、親鷺さまの「信心」は全く違うのです。「真実という自分の思いには全く無かった事を手に入れる、気づく」という意味なのです。そう。「信じる者は編される」のですよ。

見敬 けんきょう
 この言葉も一般とは相当違います。普通には「佛を見て敬う」という意味ですが、 親鷺さんは、「阿弥陀沸(=永遠無限の視点)の根本の願いを知ると、 自分自身の本当の姿が見えてくる、そうすると、見せてくださった阿弥陀悌の本願を敬えるようになり、 大きな喜びとなるのだ」と仰います。
この「慶喜」について、親鷺さまは『唯信紗文意』という著書で、 次のように、言われます。
「この信心をうるを慶喜というなり。慶喜する人は、諸仏とひとしき人となづく。 は、よろこぶという。信心をえて後によろこぶなりは、こころのうちに、よろこぶこころたえずして、つねなるをいう。 うべきことをえて後に、身にも、心にも、よろこぶこころなり」

 本当の事を知った後は、身も心も躍り上がるような喜びに満たされるのです。 何故か、それが次の一行です。

五悪趣ごあくしゆ
とは、地獄・餓鬼・畜生・人・ 天の事で、 人間がぐるぐる回る迷いの状態を意味します。それを超截する。



超截 ちょうさい
 すなわち、「飛び越えて、束縛を断ち切る」それも、「」に「」に。


 横超 おうちょう 
 「横」と「即」は、まさに親鷺さまの浄土真宗の象徴です。 「横」とは、順序や段階を全く経ないで、一挙に横っ飛びすることです。 反対語は=竪超(じゅちょう)」と言います。 例えば、悌に成って人びとか救いたいという志を固め、 命がけの修行を重ねて、段階を経て、徐々に悌の境地に近づく事です。 しんどいです。できるかどうかわかりません。 一方、「横超」は、そうではなく、ナンマンダブツと阿弥陀錦に全てお任せした時に、 横っ飛びに即時に綿と等しく成れるというのです。有難いです。


 全文を訳すと「阿弥陀悌の永遠無限の視点に気づけば、 自身の迷いの姿が見えてきて、即時に一挙に横っ飛びに迷いが晴れます。 だからこそ、阿弥陀銘の本願を敬う事ができ真実に生きる、 大きな喜びに身も心も躍り上がります。」

 

―――以上『顛倒』2017年10月号 No.406より ―――

      

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