正信偈講話

『顛倒』連載版〜2014年11月開始〜


 
『顛倒』連載 第四十五回

広由本願力廻向  為度群生彰一心

読み下しますと、「(天親菩薩は)広く本願力の廻向に由りて、群生を度せんが為に、一心を彰された」です。



 言葉に当たりましょう。

 廻向 の意味は、「(阿彌陀佛の本願の働きが我々に)振り向けられている」です。が、 言葉の元々の意味には「転回する」「変化する」「進む」などがあり、この言葉のニュアンスは、「本願力廻向」とはどういうコトかを考えるのに、大きな道しるべになります。
  すなわち、阿弥陀佛の本願、すなわち、あらゆる人を摂い取って捨てない、根本の願いが、われわれ人間に振り向けられている事に目覚めた人は、これまでと同じではおれないという事です。これまでの世間の価値観を自らの内実として生きてきた自分から転回し、変化し、そして新たに、本当の私を生きて往く方向に進むコトになるのです。


 群生 とは「群がって生きるモノ」で、元々は「あらゆる生き物」を意味しますが、ここでは本願の対象ですから「人間」の事です。


 度 とは、ここでは、「仏が人々を迷いから救う。迷いの世界から悟りの世界へと人々を渡す。」という意味ですが、「度」という漢字の成り立ちを 調べると興味深いです。もちろん中国の象形文字ですが、「屋根の下で右手で器の中のモノを煮たり沸かしている 場面」です。そして意味は、程合いを観る、測る、モノ サシ、様子、標準、限界、といった意味になります。
  そこから思われる事は、「救われる」という事は「沸かす」ように「変化する」コトであったり、「限界を超える」 ような質を持った事柄であるということです。


 一心  とは、10月号でも述べましたが、「信心」 の事です。天親さまは、特に「我一心」と、 信心を一心と表現されるのですが、それは、本当の信心とは、唯一のモノだ。ということです。よく 世間で、「イワシの頭も信心」とか「信ずる者は救われる」とか言いますが、そんなものは信心でも何でもないという事なのです。本当の信心とは、そんな自分の思いようで はなく、ええかげんな人間なんかが、信じようが信じま いが、自ずからそうで在るコトなのです。

  いわば、万有引力の法則のようなコトです。私たちの 歩く大地が在る、吸う空気が在る、心臓が動いている、 といったコトです。賜ったいのちを生きているといった コトです。無量寿が私と成っているといったコトです。 その「真実」に目覚めるコトが、本当の信心なのです。 それを親鸞は、「如来より賜りたる信心」と言われます。

 結果、正信偈のこの二行の意味内容は、 「天親菩薩は、阿彌陀佛の本願の働きが、 愚かな人間に振り向けられたコトである事 を根拠に、広くあらゆる人々を救おうとし て、真実に目覚めることを、唯一の道とし てはっきりとお示しになった」となります。



―――以上『顛倒』2018年12月号 No.420より ―――

      

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