正信偈講話

『顛倒』連載版〜2014年11月開始〜


 
『顛倒』連載 第八回
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 親鸞聖人は、多くの和讃(わさん)を作り、教えを判りやすく伝えられます。
 和讃とは、七五調、四っで一首となる和語の歌です。その最初が『讃阿弥陀佛偈和讃』です。


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一首目が、先月述べた、弥陀の五劫思惟の願を説いた和讃です。 訳しますと、阿弥陀佛が佛に成られて、十劫という永い時が経った。 その法の光の働きは、際限なく、世の闇を照らす。


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 続いて、阿弥陀佛の「十二光」が謳われます。 正信偈では、左記の部分です。 遍くこの世の闇を照らす働きが、無量、無辺、無碍、無対、光炎王、 清浄、歓喜、智慧、不断、難思、無称、超日月光、の十二の光の名で表され、 それぞれが和讃で表現されます。



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 無量の光明に対して「有量の諸相」とは、有限を生きる私たちの事です。 そして、はかりない=無量が、智慧で表現されるのが、味わい深いのです。
 最近、或る若い方の悩み相談を受けました。 「奈良の吉野の山奥で生まれて、暮らして二〇年。何もかも面白くない。 広い世界に行きたい」というものでした。私はこう応えました。
「都会へ出たら広い世界があるなんて事は幻想やで。広い狭いは自分の問題。 田舎には何もないと思てるかもしれんけど、事実は世界と繋がってる。 それを知らんだけ。吉野ってすごい場所よ。日本の国が大きく変わる時、 いつも、吉野や熊野から起こるんやから。もっと歴史とか地域の事を学ばなあかんな。 もちろん、そこに居らなあかんという事やないよ。  やりたいことがあるんやから、具体的にその方向に進む事を、調べ学び、 そこへ向かって、今の場を生きて、目処がつけばジャンプしたらええ。 今ここで、未来に向かって、どう行動するかだよ」と。 世界を観つつ此処を生きる。智慧が世界を開くのです。


―――以上『顛倒』15年7月号 No.379より ―――

          

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