正信偈講話

『顛倒』連載版〜2014年11月開始〜


 
『顛倒』連載 第二十八回
 今月は、先月の宿題、五逆・謗法について話します。


 五逆は、人間の最も重い罪を五つに分けて説くことばで、 一般には、(1)父を殺す (2)母を殺す (3)阿羅漢(あらかん・佛道修行者)を殺す (4)僧の和合を破る (5)佛身を傷つける 事をいい、 この五つの一つでも犯せば無間地獄に落ちると説かれますが、何を戒めているのか、どう受け取ればいいのでしょうか。

 (1)(2)に関して、親鸞は、その御手紙で「親をそしるものをば、五逆のものともうすなり」と言われます。 実際に父母を殺す事は、もちろん大きな罪ですが、実行はせずとも、「殺して」いる例は多くあるのではと思います。
 先日も、ある方が「夫の三十三回忌を勤めるので、お参りしてほしいと、息子娘に告げたが、 取り合ってもくれないので、一人で勤めます」と言われた事がありました。 これなどは「殺して」いる一例です。娑婆のことですから、父母に恨み事がいっぱいあったのかもしれませんが、 そうして「殺して」いる事が、実は、自分自身の存在を否定していることになる事に気付いてほしいのです。 自分の存在の根っこを否定して、どうして物事がうまくいくはずがあるでしょうか。

 (3)(4)(5)は、佛道に関する事です。 「佛」とは「真理に目覚めた人」という意味ですから、「真理を否定する私たちの在り様」が問題にされる項目です。 確かに現実の人間社会はろくでもない事ばかりが目につきます。 しかしだからといって、「人間なんて、そんなもんさ」と開き直って斜に構えるのは、 如何なものでしょうか?それこそ情けない在り方、「五逆」です。

 これについては、私は、「テレビや新聞のニュースが、アカンなぁと」いつも感じています。 だいたいニュースで取り上げられるのは、殺人とか、ミサイルを撃ったとか、悪いことばかりですから、 世の中、悪い事ばかりのように錯覚してしまうのです。 でも現実はどうでしょうか。私は人間は結構相手を信頼していると思います。 たとえば私は車を運転しますが、相手を信頼していなければ走れませんよ。 相手も信号やレーンを守ると信頼しているからこそ走れるのではないですか。


 謗法とは、誹謗正法(ひぼうしょうぼう)の事です。 佛の正しき教法をそしり、その真実性を否定する事ですから、五逆の(3)(4)(5)と同じです。 「佛教が正しい」と押し付けているのではありません。

 「佛」は「真理・真実に目覚めた人」ですから、「佛教」とは「真実の教え」です。 学校で「世界三大宗教は、キリスト教、イスラム教、佛教です」なんて教わりますから、 私たちは佛教をグループの名前のように思っていますが、そうではありません。 真理の言葉ですから、その人がキリスト教であろうが、イスラム教であろうが、 神道であろうが、新興宗教であろうが、「宗教みたいなインチキは信じない」という無神論者であろうが、 そうだねという事を説くのが佛教です。 例えば「諸行無常」「あらゆる物事に固定した実態は無く、常に移り変わっていく」という言葉のそうです。 私が知ろうが知るまいが真実です。 それを認めないことを「謗法」と呼ぶのです。



―――以上『顛倒』2017年6月号 No.402より ―――

      

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