正信偈講話

『顛倒』連載版〜2014年11月開始〜


 
『顛倒』連載 第二十一回
     本願名号正定業   至心信楽願為因
       成等覚証大涅槃   必至滅度願成就
 

 今日の部分をサラッと訳すと、「阿弥陀佛の根本の願いの名乗り、南無阿弥陀佛は、 私達が間違いなく浄土に往生するための働きであり、 それは、阿弥陀佛の至心信楽の願(第十八願)に誓われている信を正因とする」です。

 続いて。言葉を観ていきましょう。
「本願」。浄土真宗で一番大切な言葉の一つです。 阿弥陀佛の「あらゆる人を摂い取って捨てない」という「誓願」です。 真宗門徒の根本経典である「無量寿経」に四十八通りに表現されているので、 「四十八願」とも呼びます。その十八番目が「至心信楽の願」と名付けられているのです。

 「名号」とは、「南無阿弥陀佛」のことです。 阿弥陀佛が自らを名乗った名前であり、私達が名号を称えることは、 浄土往生が正しく定まる働き(正定業)であり、 その根拠が、第十八願、至心信楽の願であると言われるのです。

 まあ、言葉の意味は解りました。さあでも ここからが問題です。「浄土往生」って何? それがいいこととしても、なんで「ナンマンダ ブツ」と口にすることで達成されるの?。ということです 。

 私(住職)も、初めてお坊さんの学校で学び始めた時に「ナンマンダブツ」と口にすることが、一番難しい事 でした。 だって、「ナンマンダブツ」と言うなんて事は、九官鳥でも少し教えればやりますから。 それが何で人間の「救い」になるのか。という事です。 納得がいきませんでした。 まして私の学校は「大谷専修学院」といって、 「解っても判らなくても念佛しなさい」なんて事を平気で言う、理不尽な学校でしたから、なおさらでした。

 そんな全寮制の学校で一年経って、 卒業前の面接試験で「一年学んできて、親鸞は真実を説いていると、私の中でハッキリした。 その親鸞が念佛申せと言われるので、まだ納得はしていないが、念佛してみようと思う」と、 言うと、ある先生が「やっと、あなたも念佛できるようになりましたか」とニヤリとされた事を、昨日の事の様 に思い出します。 それから35年、今では躊躇なく念佛しています。 その根拠は、今月号だけでは語り尽くせません。 この連載を始めた頃にたくさん南無阿弥陀佛について語っています。
それらも参考にして頂き、この連載を通して、 その事ひとつを明らかにしていきたいと思っています。乞うご期待!

 今月号の最後に、「浄土往生」に触れておきます。 普通は、「死んでから浄土へ往く事」のように語られます。 もちろん私も住職として、お葬式の時などに問われると、 「お浄土へ還られました」と断言します。 限りある現世を卒業して、大いなるいのちの世界へ還られるのですから、 それは間違いない事です。が、今を生きる自分自身の事としてはどうでしょうか。 その時、私はこの言葉を「浄土を願って生きて往く」と読んでいます。


―――以上『顛倒』16年10月号 No.394より ―――

          

 前に戻る                次へ進む 

Copyright © 真宗大谷派瑞興寺  このサイトの著作権は真宗大谷派瑞興寺に帰するものです。無断転用転載禁止。  ご連絡E-mailは コチラまで