正信偈講話

『顛倒』連載版〜2014年11月開始〜


 
『顛倒』連載 第三十八回

  釈迦如来楞伽山 
      為衆告命南天竺 
   龍樹大士出於世 
      悉能摧破有無見




 今月は、七高僧の第一、龍樹菩薩です。

訳しますと、「お釈迦様は、楞伽山という山で説法をされ、 大衆に向かって、大切な予告をされました。後の世、インドの南の方に、龍樹という菩薩が世に出られ、 そして、ものごとを肯定する「有」とか、否定する「無」とか、 そのような誤った考えにこだわる見方をことごとく砕き破るであろうと。」

龍樹大士 とは、梵語では、ナーガールジュナと言い、紀元2世紀から3世紀のインド仏教僧です。 有名な『般若心経』にある「色即是空」の「空」の思想を説い方で、 『中論』『大智度論』『十住毘婆沙論』といった重要な著作があり、大乗佛教の祖とされます。 「大士」は「大いなる人」で、菩薩の尊称です、

楞伽山 とは、梵語でランカー(La?k?)の音写。お釈迦様が『楞伽経』を説かれた場所で、今のスリランカと言われます。 歴史的事実としては、お釈迦様が、スリランカに居られたことはあり得ない事なのですが、 『楞伽経』の中に、神話的表現として、そのような文章があり、親鸞さまは、そのお経の言葉を、そのままここで用いておられるのです。

有無見これが、人間の「思い込み」を表す言葉です。 その「有無の見を打ち破る」という事実が「空」という事なのです。

 とは、どういう意味でしょうか。「空っぽ」という事ではありません。 「固定した実体は無い」「何でも無い」という事です。英語で表すと、分かり易いです。 「empty(空っぽ)」とか「nothing(何も無い)」ではなく、「changeable(変わりうるもの)」なんです。 「色即是空」とは、「あらゆる存在は固定した実体は無く、変わりうるものだ」という意味です。

 それに対して、「有無見」はまさに人間の煩悩の在り様です。 財産や名誉や勝利が、有れば有るで、失う事を憂え、無ければ無いで、手に入れたいと悩む。 そうして、自分自身の在るがままの、素直な姿を見失っている。

 30年前、瑞興寺に毎月お出で頂いていた、仲野良俊先生は、「空とは、なんでも無い、という事や」 「わしは、ここでは先生やけど、家に帰ったら、ただの頑固じじいや。これが空やな」 「空とは南無という事や」「俺こそエライと思ってみたり、わしゃあアカンと思うてみたり、それで苦しんでおる。 人間はエラクもなければアカンでもない。実は何でもない。 それがわかれば楽ですよ。平静です」などと語っておられました。 まさに「摧破有無見」です。

―――以上『顛倒』2018年5月号 No.413より ―――

      

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