
今月は、「善悪」と「凡夫人=凡夫」に集中して読んでいきます。 どちらの言葉も親鸞さんの中心課題です。 「一切善悪凡夫人」の受け取り方が、人によって色々です。 一般には「善人、悪人、凡夫(=普通の人)」と受け取って、「全ての人は」と読む方が多いようです。

そう!一切の人は、賢い人も、阿保な人も、貧乏人も金持ちも、老若男女、皆ともに「凡夫」なのです。
がしかし、私はまた別な読み方を選びたいのです。 それは「一切の善悪に惑う私たち凡夫」という受け取りです。 善だとか悪だとか、自分の目先の事だけしか考えられず、 「オレが正しい、アイツが悪い」、そんなことばかり言っている人、すなわち「凡夫人」の内実が表現されている。 ということです。「なるほど」と思います。

この親鸞の言葉は無茶苦茶ですね。 私たちの社会生活は、「悪事を避けて、善い事をする」ことを心掛けているのですが、親鸞は「何が悪やら何が善やら。 私は全く知らない」と言うのですから。 しかしこの言葉は、少し後に、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、 みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」と続きます。
これで、少し観えてきました。 世の中で「善い事、悪い事と言われていることは、本当にそうか、よくよく観なければならない」という事です。 先日も「総選挙」がありましたが、政治家の言葉などは、その典型でしょう。 言葉は綺麗に飾られますが、その奥の奥を見通さなければならないという事です。 そのような善悪に惑っている私だと気づきなさいということです。

―――以上『顛倒』2017年11月号 No.407より ―――