聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者
   是人名分陀利華
今月は、先月の「一切善悪凡夫人」を受けての部分です。 サラッと読み下すと、「(阿彌陀)如来の弘誓願を聞信すれば、(釈迦)佛は、是の人を広大勝解の者と言えり。 (また)分陀利華と名づく」です。言葉に当たっていきましょう。
佛道修行は、先ず誓いを立て、そしてそれを成し遂げようと努力する事が肝要です。 阿彌陀佛も、「あらゆる人を救い取って捨てない」という誓いを立てて法蔵菩薩と成られ、 その誓いを成就して阿彌陀佛と成られたと『無量寿経』に述べてあります。 これはもちろん神話的表現ですが、歴史的事実としての、お釈迦様が下敷きとなっています。 インドの釈迦国のゴータマシッダルタという王子様が出家して、人間の生きる「苦」の意味を解くと誓われて、 そして悟りを開いて佛陀と成られた事実の神話表現なのです。
とは、「白い蓮の華」の事。
先月の言葉とまとめて訳すと、「一切の善悪に惑う私たち凡夫であっても、
阿彌陀如来の弘い誓願をよく聞き信頼すれば、お釈迦様は、
その人は、広大な優れた法則をよく解った、気高く尊い白い蓮華のような人だと仰います」です。「汚泥」は、我々人間の現実生活です。 その汚泥をしっかりと観つめ、その中に根を張って、しかもその現実に埋没せずに、 理想を高く掲げて、茎を延ばし、理想を実現するという華を咲かせる事が願われているのです。 現実をよく知り、しかも埋没せずに、 阿彌陀佛の「選ばず嫌わず見捨てず」という願いを我が願いとして生きる事が肝要なのです。
―――以上『顛倒』2017年12月号 No.408より ―――

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