依修多羅顕真実 光闡横超大誓願
訳しますと、「(天親菩薩は)修多羅に依り真実を顕して、横さまに(われら凡夫を、一挙に浄土に)超えさせる、 (阿彌陀佛の)大きな誓願を、光のように闡明にされました」です。解り難い言葉が続きます。
一方、正信偈からは少し離れますが、私たちお坊さんは、お葬式など大きな儀式の際に、七条袈裟という、 身体に巻き付ける大きな派手な袈裟をまといます。その時、後ろにぶら下げる、赤色や朱色の大きな組みひもを「修多羅」と呼びます。 すなわち、お葬式の時、お坊さんは「お経」をぶら下げて儀式を勤めているのです。それは当に「お経」の意味する「真実」を表現する「儀式」を執行していると いう意味があるのです。
では何故「経(たて糸)」という漢字が「真実」を表す事になるのか。 それは、「たて糸」で、「過去・現在・未来へと縦に貫いている普遍・不変なもの」を表わしているからです。
「出」は、迷いの苦悩からの脱出を図り、やがて覚りの安楽に到達しようとする在り方です。 一方の「超」は、迷いの身のままに一挙に覚りの境地に達する在り方です。
この「竪」「横」「出」「超」とを組み合わせて、佛教を四つに分類します。 第一は「竪出」。永い厳しい修行で、徐々に佛の覚りに近づいていく、「自力・難行道」です。
第二は「竪超」。強靭な菩提心で修行に励み、一挙に佛の覚りを体得する、もう一つの「自力・難行道」です。
第三は「横出」。これは困難な修行ではなく、念佛に依り、一足飛びに浄土に往生して佛の覚りを得る「易行道」ですが、 自力によって他力にすがる「自力の念佛」です。
第四が「横超」です。 一切のはからいから離れ『大経』に説かれる阿彌陀佛の本願を馮(たの)んで、阿彌陀佛の浄土に往生させて戴こうとする、 「如来より賜わる信心」、「他力の念佛」です。 「横」は「よこさま」ですが、理屈に合わない事を意味します。私たちの常識は、努力して上に登ろうとする上昇志向です。 阿彌陀佛の本願は全くその反対で、低い、出来ないからこそ「救う」というのですから、全く私たちの理屈に合いません。 常識はずれに一挙に浄土往生させるからこそ、大きな誓願なのです
―――以上『顛倒』2018年11月号 No.419より ―――