天親菩薩 造論説
帰命無碍 光如来
訳しますと、「天親菩薩は、『論』(浄土論)を造られて、無碍光如来に帰命しなさいと説かれました。」です。
言葉の意味に当たります。
天親菩薩とは、七高僧の第二番で、「世親」とも呼ばれます。天親は、龍樹から約200年ほど後、AC400年ごろ北インドに生まれられ、480年ごろに亡くなられたと推定されています。それは、お釈迦様から約800年後です。
その頃、佛教はいろんな部派に分かれており、天親も元々は、ある部派の高僧であったのですが、兄の無着に 諭されて、いわゆる「大乗佛教」に転向されました。
有名な著作が『浄土論』『唯識三十頌』で、「空」を説いた龍樹から始まった大乗佛教を深め広げ、「浄土」という思想を説き、「唯識」という、現代の深層心理学につながる考えを説くなど、大きな働きを残した方です。ですから、
龍樹と並んで「菩薩」と称されます。
ここでの「論」は、『浄土論』です。「浄土論」とは、我々真宗門徒の根本経典である『仏説無量
寿経〈大経〉』、すなわち、「阿弥陀仏とはどういう方か、その摂取不捨の願いを受ける人間とはどういう者か」を説いたお経を論じた書物です。次に内容を観てみましょう。
世尊我一心 歸命盡十方
無碍光如來 願生安樂国
訳しますと、「お釈迦(世尊)様よ。私は心を一つにして、 十方に至り尽くす、碍りの無い光の佛(阿彌陀如来)に帰命し、安樂国(浄土)に生まれんと願います」ですが、これを観ますと、正信偈の2行は、浄土論のこの2行そのままです。要点は一心と帰命です。
一心 とは、「心を一つの事に集中すること」ですが、特に佛語としては、「あらゆる現象の根源にある心」という意味があり、さらに、浄土真宗では「真実信心」を表す言葉でもあります。
歸命 とは、元々「身体を屈して敬礼する事」をさし、転じて「全身全霊をもって佛に帰依する事」で、「南無」の意訳でもあります。私はさらに「命に帰る」と読んで、その帰依の内実を示す言葉だと受け取っています。「帰依する」と言うと、私たちはすぐに「私が自分の意志で帰依する」と思いがちです。が、そうではなく、命に帰るですから、我々が存在の根本に帰ったとき、どうでしょうか。知る知らないに関わらず、好き嫌いに関わらず、私たちは命の法則に従っています。そういう自然な本来のあるがままの帰依こそが帰命なのです。阿彌陀佛に南無(帰命)するとは、何か特別に私 が願うことではなく、本来の私の在り様に気づくと、自ずから帰依しているのです。それこそが「一心」です。
―――以上『顛倒』2018年10月号 No.418より ―――