
今月の部分を読み下します。「阿彌陀佛の本願念佛を、邪見(じゃけん)
次に言葉に当たりますが、一つ一つの漢字に深い意味があります。
このように見てきますと、「邪見
どうでしょうか。自分が正しいという思い込み。ありませんか?それを打ち破るのは、広く深く物事を知るという事でしかあり得ないのです。例えば、私(住職)自身、29歳で親鸞の事を本当に知るまでは、「宗教などは、世の中で一番役に立たない」 「そういうものが無ければ生きていけない弱い人たちが居るから在るだけで、本当は無い方がよい」「そんな役立たずに、自分が成る気は無い」と思っていました。
まさに「邪見
「佛」とは「ブッダ」「真理を覚った人」という意味ですから、「佛教」とは「真実教」です。例えば「無有代者」。
「代わる者有る事無し」で「私という存在は、唯一無二のもので、代わる者は無い」という事で「真実」です。 例えば「諸行無常」。「あらゆる物事は常に移り変わって固定した実体は無い」という事で、これも「真実」です。 イスラム教の人も、キリスト教も、神道も、「宗教なんてくだらんものは信じない」という無宗教の人も、誰もが皆、無有代者の身を生き、諸行無常の世を生きています。
それが「事実」ですね。「万有引力」のようなものです
―――以上『顛倒』2018年2月号 No.410より ―――

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