親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第12回

主上から「この和歌の使者は誰か」とお尋ねがありました。 大進有範の子・範宴少納言と申し上げると「猶父三位も和歌が巧みである。 師の僧正を評判どおりの名手であるので、範宴もきっと上手であろう。 和歌を詠んでみよ」と求められて、同じく「鷹羽雪」という題を頂きました。

   箸鷹のみよりの羽風ふき立て おのれとはらふ袖の白雪

と即興で申し上げると、主上はじめまわりの公卿の人々は、 「さすがに三位の猶子、また慈円僧正の弟子であることよ」と称賛されました。 主上は感服されたのでしょうか。檜皮色の小袖をお与え下さいました。 その時つくづく思ったことは「命じられた和歌がもしうまくできなかったら師の僧正も、 猶父の三位卿の名も汚すことになったであろう。自害をしても僧侶の道にはずれることになる。 私が天台の門跡・慈円僧正の門下であるかぎりは、何度も内裏に召されることになって、 このような世俗の交わりを重ねていくことになる。 師の僧正も殿上人たちとの付き合いがあるために、このようなつらい立場に立たされることになったのだろう。 ああ、これこそが遁世の因縁ではなかろうか」と思われ、世俗にかかわるすべてのことが、 すっかりうとましく感じられましたので、六角堂の百日参籠を思い立たつことになりました。

―――親鸞聖人正明伝より ―――

         

 ○<住職のコメント>

安城の御影
安城の御影
 今月は、先月からのつづき、公家や主上(天皇)との和歌の場面です。

 このような世俗のおつき合いがほとほとイヤになって範宴(親鸞)は、六角堂に参籠し、夢告を受けて、 比叡山を下りる決断をされたというのです。これを後世の作文のように言う方も多いのですが、 私はそう思いません。例えば、親鸞のヒ孫の存覚が『歎徳文』で、 その下山の理由を「浮ついた交わりを貪って、無駄な学問ざたに疲れた(住職訳)からだ」と 言っておられるように、まさにこのような和歌を通しての交友に疲れられたということがあると 思えるからです。またこの天皇に頂いた「檜皮色の小袖」もポイントで、 今月のカットに使った「安城の御影」(親鸞在世中に描かれて現存するこの内の一つ。 しかも親鸞聖人を公的に表現する一幅)に、その朱色の衣が描かれているのです。

 墨染の衣の下に朱色がのぞく、それが「浮生の交衆」を意味しているのです。

―――以上『顛倒』08年10月号 No.298より―――

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