親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第56回

これより先、嘉禄の年(五十三〜五十五歳)でしょうか。聖人が鹿島神社に参詣すると、不思議なことがいろいろ起こりました。この神社は東国の守護を司り、また和光同塵の方便(仏・菩薩が日本の神として現れること)とされているかもしれません。
[ある説ではこの神の本地は観世音菩薩を聞いています。いっぽう商人は阿弥陀如来の応現ですから、そのことを深く考えてみますと、その徴がおのずと現れるのは疑いのないことなのです。]

−−−【親鸞聖人正明伝より】−−−

 


南無阿弥陀仏をとなふれば
梵王帝釈(ぼんのうたいしゃく) 帰敬(ききょう)
諸天善神(ぜんじん)ことごとく
よるひるつねにまもるなり

南無阿弥陀仏をとなふれば
四天大王もろともに
よるひるつねにまもりつつ
よろづの悪鬼()をちかづけず

南無阿弥陀仏をとなふれば
堅牢地祇(けんろうじぎ)尊敬(そんきょう)
かげとかたちとのごとくにて
よるひるつねにまもるなり

南無阿弥陀仏をとなふれば
難陀跋難大竜等(なんだばつなんだいりゅうとう)
無量の龍神(りゅうじん)尊敬し
よるひるつねにまもるなり

南無阿弥陀仏をとなふれば
炎魔法王(えんまほうおう)尊敬(そんきょう)
五道(ごどう)冥官(みょうかん)みなともに
よるひるつねにまもるなり

−−−【現世利益和讃】−−−



涅槃経(ねはんぎょう』(如来性品)に(のたまわく、仏に帰依(きえ)せば、 (つい)にまたその余の諸天神(てんじん)に帰依せざれ、と。略出

−−−【教行信証より】−−−

 ○<住職のコメント>

親鸞聖人御絵伝
親鸞聖人御絵伝
 また、鹿島神宮と親鸞との関わりです。
 上の『教行信証』の言葉通り、もちろん真宗は『神祇不拝』ですが、 上記の『現世利益和讃』を見ると、単に「不拝」ではないことが分ります。 人が生きる限り神祇との付き合いは在るのです。 当時だけでなく、この現代でも、占いやまじないに脅かされて、 「悪鬼神」に支配されている人は多いですし、「靖国神社」などは、 戦死した方々を奉り、遺族を慰めるという形で、「戦争」の道具にもなっているのですが、 そういったカラクリが見抜けるかどうかが、『教行信証』の「帰依せざれ」が教える課題なのです。

 「帰依せざれ」は「非難する」ではなく「支配されない」と取るべきです。
そういったカラクリに操られてしまう人々に、 「大丈夫だよ、あなたにはもっと確実な広い世界が与えられているよ」と教えるのが親鸞です。『現世利益和讃』に何度も「よるひるつねにまもるなり」とあるのを見ると、いかに皆、鬼神を恐れていたのかがよく受け取れます。

 さて現代はどうでしょうか、「より上へ、より良く、より強く」の教えが「鬼神」となって、人々を支配しているのではないでしょうか。そういう人々を縛り付け狭い世界に閉じ込める恐れから解放するのが、真実の目、南無阿弥陀仏です。

 鹿島神宮の神は観音さまの化身、阿弥陀仏の慈悲を表す観音さまですから、 念仏者がそれをよく知って参ることに何の支障がありましょうか。親鸞の伝記『御伝鈔』でも、熊野神宮に参る平太郎が親鸞に「参ってもよいか」と尋ねるのですが、親鸞は「そのままでお参りしなさい」と応えていますから。

―――以上『顛倒』2013年2月号 No.350より―――

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