親鸞聖人の生涯
〜『顛倒』連載版〜第49回

瑞興寺所蔵親鸞聖人御絵伝
聖人(しょうにん)常陸国(ひたちのくに)にして、 専修念仏(せんじゅねんぶつ)の義(ぎ)をひろめ給うに、 おおよそ、疑謗(ぎぼう)の輩(ともがら)はすくなく、信順の族(やから)はおおし。 しかるに一人(いちにん)の僧(そう) 山臥云々 ありて、ややもすれば、仏法に怨(あた)をなしつつ、 結句害心(けっくがいしん)を挿(さしはさ)んで、聖人を時々(よりより)うかがいたてまつる。 聖人、板敷山(いたじきやま)という深山を恒(つね)に往反(おうへん)し給いけるに、 彼(か)の山(やま)にして度々(どど)相待(あいま)つといえども、さらに其(そ)の節(せつ)をとげず、 倩(つらつら)ことの参差(しんし)を案ずるに、頗(すこぶる)奇特(きどく)のおもいあり。 よって、聖人に謁(えっ)せんとおもふ心つきて禅室(ぜんしつ)に行きて尋(たずね)申(もう)すに、 聖人左右(そう)なく出(いで)会(あ)いたまいけり。 すなわち尊顔(そんげん)にむかいたてまつるに、害心忽(たちまち)に消滅(しょうめつ)して、 剰(あまつさえ)後悔(こうかい)の涙禁じがたし。 ややしばらくありて、有(あり)のままに、日来(ひごろ)の宿鬱(しゅくうつ)を述(じゅつ)すといえども聖人またおどろける色なし。 たちどころに弓箭(きゅうせん)をきり、刀杖(とうじょう)をすて、頭巾(ときん)をとり、柿衣(かきのころも)をあらためて、 仏教に帰しつつ、終(つい)に素懐(そかい)をとげき。 不思議なりし事なり。すなはち明法房(みょうほうぼう)是(これ)なり。聖人これをつけ給いき。
−−−【御伝鈔】−−−
○<住職のコメント>
今月は『御伝鈔』(東本願寺の正式な親鸞伝記)の有名な文章です。
関東での親鸞の布教の様子が伺えます。訳してみましょう。
「親鸞が、常陸国(現在の茨城県)で専修念仏の教えを広められ、疑う人は少なく信ずる人が多かった。
しかし、一人の山伏が仏法を恨み、親鸞を殺害しようと様子をうかがいだした。
そのころ、親鸞は布教の行き帰りに板敷山をよく通っていたので、そこで何度も待ち伏せをするが、いつも邪魔が入って目的を果たせない。
『何かに守られている方なんだろうか』と不思議な思いを持って、親鸞の庵に行ってみると、
自分を害しに来た山伏なのに、親鸞は喜んで、お会いになった。
親鸞の顔を見たとたん、害しようと思っていた心がたちまちに消えて、後悔の涙がこぼれてきた。
しばらくして、日ごろの恨みつらみを打ち明けるが、親鸞は全く驚かない。
その様子を見たとき直ちに、弓矢を折り刀や杖を捨て頭巾を取り、柿色の衣を改めて、専修念仏の教えに帰するようになった。
不思議なことだが、これが今の高弟のひとり明法房で、親鸞がお付けになった」
これは承久三年(1231年)、親鸞四十九歳の出来事です。
待ち伏せなどと言うと山賊のように思うかもしれませんが、山伏の名は弁円(べんねん)、
加持祈祷の力で人々の尊敬を集めており、守護からも、五百石ほどの所領を与えられていた方のようです。
いわば地方の、実力者です。
それが、親鸞の教えが広がることによって、加持祈祷に頼る人が減り、自分の領域が侵されると恨みを持ったわけです。
待ち伏せの失敗は、不思議ではなく、当時の親鸞が、多くの人に支えられていたという事です。
待ち伏せの情報が伝えられて、別の道を行かれたのです。
顔を見たとたんに害心が消える場面は少し芝居がかっていますが、この弁円の帰依は、いろんなことを示しています。
すなわち、熱心に教えを聞いている人が早く目覚め、教えに背く者に救いはないと、
私たちは思いがちですが、それは誤解だということです。
救いとは、自分の努力で得られるようなものではなく、思いがけない出会いに、よるものであり、
それを「回心(えしん)」を言い、まさに心がひるがえるのです。
日ごろの常識の心の延長上には救いは無く、またそれは書物や知識から得られるものでも無く、
「人」との出会いで起こるものだということです。
―――以上『顛倒』2012年6月号 No.342より―――
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