親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第33回

法然さんや親鸞さんが流罪にされ、法然の4人の弟子が死罪と された、朝廷による念仏弾圧、承元の法難(親鸞35歳)は、旧 仏教界からの訴えが、きっかけとなって起こりました。それが当 時の佛教界を代表する、奈良の興福寺の興福寺奏状で、念仏者の 九つの失を指摘しています。11月はその第八です。

興福寺奏状(こうふくじそうじょう)

第八 仏教徒に害を与える、とういうあやまり
かれらは、「囲碁(いご)双六(すごろく)から女犯(にょぱん)、肉食、すべてちっともかまわない」といって、 仏法の清浄戒(しょうじょうかい)けいべつヽヽヽヽします。 そして「末法の今どき、戒律を守る人間なんて、(いち)の中に虎がいるようなものだ。かえって危険千万だ。」なぞといいふらすのです。 こういう考え方がひろめられてくれば、仏法は滅んでしまいます。 しかも京都近辺はまだいいほうで、北陸、東海などの諸国には、おそろしい勢いでひろまっています。 だから、天子の命令による(おおやけ)の法律によって、専修念仏を禁止していだだくほか、この事態をくいとめる方法はありません。 今回の奏上の真意は、ここにあるのです。

−−−古田武彦著『親鸞 人と思想』より−−−



 ○<住職のコメント>

瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
第八は、仏教者を軽蔑し害を与える失。

 第八となって、旧仏教界のホンネが出てきた感じです。 これまでは、浄土の教えに対する批判でしたが、ここへきて、念仏者が増えていることを心配した、 まさに旧仏教界の保身の思いが現れてきました。内容を詳しく見ていきましょう。

 ここで問題にされる「戒律」ですが、仏教の基本的な戒律に、「五戒」があります。 すなわち、不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒です。 明治になるまで、多くの日本人は、四つ足の肉を食べませんでした。 それは不殺生を守っていたということです。精進料理は不殺生戒を守った料理です。 今でも、私たちお坊さんが「何を食べてるんですか」とか「お酒を飲んでもいいんですか」と聞かれることがあるのは、 この不殺生・不飲酒戒が生きているということです。明治になって、政令で許されるまで、 他宗のお坊さんが公けには妻帯しなかったのは、不邪淫戒です。

 でもそこで、親鸞は戒律を深く考えたのです。
『四つ足を食べないというが、米や野菜にはいのちは無いのか。それは使い分けだ。 また自分は生き物を殺さないかもしれないが、他者の殺したものを食べるのは殺している事ではないか。 さらに、生活のために殺さざるをえない者を、不殺生戒を破る者だと差別する。みなおかしいではないか。 お釈迦さんの戒律は、そんな形だけのことを言っているものではないはずだ』と。 それは私たちへの問いかけです。食べる事は殺す事なのです。 殺さなければ生きられない私たちに、「殺すな」と問われる、絶対矛盾の問いです。 その意味は、殺していることを私たちに自覚せしめる問いです。 それを自覚した私たちに初めて、「殺しすぎない生き方」が始まります。 気付いてみますと、ライオンはシマウマを食べますが、満腹の時は、横を何が通ろうが殺しません。 自分が生きる以上のものは殺さないのです。それ以上に殺すのは実は人間だけです。 明日の為に殺そう将来の為に殺そうとやってきました。 そして、今や我が日本は、食糧の40%を捨てる国になっています。 賞味期限切れや食べ残しですが、これも「殺しすぎ」の実態のひとつなのです。

 今月は終わり「女犯」などは来月に述べます

―――以上『顛倒』2010年11月号 No.323より―――

真実の言葉メニュ

次へ

Copyright © 真宗大谷派瑞興寺  このサイトの著作権は真宗大谷派瑞興寺に帰するものです。無断転用転載禁止。  ご連絡E-mailは コチラまで