親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第34回

 承元の法難は、旧仏教界からの訴えが、きっかけとなって起こりました。 それが当時の佛教界を代表する興福寺奏状で、念仏者の九つの失を指摘しています。 12月は、11月に続き、その第八を解説します。

興福寺奏状(こうふくじそうじょう)
第八 仏教徒に害を与える、というあやまり
かれらは、「囲碁(いご)双六(すごろく)から女犯(にょぱん)、肉食、すべてちっともかまわない」といって、 仏法の清浄戒(しょうじょうかい)けいべつヽヽヽヽします。 そして「末法の今どき、戒律を守る人間なんて、(いち)の中に虎がいるようなものだ。かえって危険千万だ。」なぞといいふらすのです。 こういう考え方がひろめられてくれば、仏法は滅んでしまいます。

−−−古田武彦著『親鸞 人と思想』より−−−



 ○<住職のコメント>

瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
第八は、浄土の意味に暗い失。
 ここで問題にされる「清浄戒」ですが、仏教の基本的な戒律に「五戒」があります。 すなわち、殺すな、盗むな、邪な性交をするな、嘘つくな、酒を飲むな、です。 この不飲酒戒には、笑話があって、「酒ではなく、ドラッグならいいだろう」と言う人がいたり、 「これは暑いインドだからであって、お釈迦さまが、もし寒い中国の方なら、 決してこんな戒は立てられなかったはずだ」と言われた、大酒飲みの先生もおられました。

 この「酒」は「人間の判断を狂わせるもの」と読むべきでしょう。「酒に飲まれるな」ということです。 興福寺奏状にある、囲碁や双六は、嘘つくな、酒飲むな、に関することです。 女犯は、邪な性交をするな。肉食は、殺すな。です。中でも、女犯は、親鸞さんにとって大きな課題でした。 当時のお坊さんは戒律を守るために結婚しなかったのですが、こんなことは根本的に変なことです。 だって、結婚しないことが「救い」への道なら、人間という種は絶えてしまいます。 さらに、男性を迷わせる「魔」と見たり、女性には血の穢れがあると、女性差別をしていました。 これは今も、相撲の土俵とか、大峰山の女人禁制に残っています。

 親鸞は、26歳のときに、京都の修学院の近くにある赤山明神で、ある女性に会います。 彼女は、仏教の信者で「比叡山に参詣したい。ぜひとも私を連れていってほしい」と懇願するのです。 親鸞は困りました。比叡山は女人禁制だったからです。 そこで、親鸞は断るのですが、女性は「おかしいではないですか。仏教は、一切衆生悉有仏性と教えています。 また、比叡山に住む鳥や獣に雌はいないのですか。法華経でも、竜女には成仏を許しています」と問い詰めるのです。 親鸞は、答えることができず、逃げ戻るのですが、この出来事が親鸞をして、深く不邪淫戒や仏教の女性差別を考えるきっかけとなりました。
 そして29歳のとき、京都烏丸の聖徳太子を奉る六角堂に百日の参籠をしたときに、次のような観音菩薩の夢のお告げを受けます。 『女犯偈』と呼ばれています。

行者宿報にして設ひ女犯すとも 我玉女の身となりて犯せられん 
      一生の間よく荘厳して 臨終に引導して極楽に生ぜしめん

意味は、「行者が縁によって性交するならば、私、観音菩薩がその女性となり、 行者を一生の間支え、命終のときには極楽浄土に往生させます。」です。 この夢告を得て、親鸞は比叡山を降りる決心を固め、吉水の法然の元へ行き、後の結婚に繋がります。 その相手が、26歳のときに赤山明神で出会った女性だという説もあります。 親鸞の至った結論は、不邪淫戒とは、犯し犯されるような男女関係ではなく、 互いに支えあうような男女関係を創れという、お釈迦さまの促しだという事です。

―――以上『顛倒』2010年12月号 No.324より―――

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