親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第21回

 親鸞聖人は吉水に、同じ人間としての歓びをもって、ともに生きていくことのできる念仏者の僧伽をみいだしておられた。 それは、本願念仏のほかには、もはやどのような世間的権威をも必要としない、仏法の僧伽(さんが)であった。 その僧伽は、あらゆる階層の人々に道心をよびここしていき、これまで仏法とは無縁なものとされていた一般の庶民をはじめ、 僧や貴族・武士などが、吉水の法然聖のもとにつどい、ともにひとつの念仏に和していったのである。
  もちろん、吉水につどう人々のなかにも、念仏の教えにではなく、法然上人の人格にすがっていたにすぎない人々もあった。 また、念仏の救いにはどのようなことも障りにはならないと、平気で悪事をおこない、吉水教団にたいする無用の非難をひきおこすものであったもあった。
 元久元年(一二〇四)冬、延暦寺の僧たちは、重ねて念仏の禁止を座主真性(ざすしんしょう)に訴えた。 そのため、元久元年十一月、法然上人は七ヶ条の制誡(せいかい)をつくって、門弟をきびしくいましめ、それを守る誓いの署名を求められた。 このとき、聖人は、僧綽空の名をもって署名にくわわっておられる。

―――東本願寺刊 宗祖親鸞聖人より―――

           

 ○<住職のコメント>

瑞興寺紋
瑞興寺紋
法然上人、親鸞聖人の教えを一言で言い表すと「ただ念仏」です。 「ただ」とは、「唯一」ですから、それは「南無阿弥陀仏だけが私の基準です」という意味になります。 人間世界の常識は、人の持っているもの、すなわち、出自、地位、財産、経験、美醜、能力といったもので、人を計り別けます。 しかし、南無阿弥陀仏はそれらの「違い」を超える「永遠無限なる真実そのもの」ですから、それが基準となるとき初めて、 互いの違いを超えて、人と人が出会うことができ、そこに「いのちが水平に出会う、サンガ」が開かれます。
 それ自体はとても素敵な出来事なのですが、周りから見るとどうでしょうか。 特に世間的権威を振りかざしている人たちから見ると、そんな権威を「無化」する「念仏者」は、とても厄介な存在となります。 だって、「私はよい家柄だ、金持ちだ、首相だ、天皇だ、大坊だ、学歴が高い」と、えばっている人たちにとっては、 「それがどうしたんですか」と、権威になびかない人たちは、訳の分からない人たちと映ります。 その結果、世界の権威、権力者から、念仏者に対する「弾圧」が始まってきます。
 吉水教団に対する、元久二年の比叡山延暦寺の訴えを受けて、法然上人は、門弟に対して「七ヶ条の制誡」を出して、 その言動を誡めるのですが、結局は、数年後の「流罪」につながっていくのです。

―――以上『顛倒』09年9月号 No.309より―――

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