親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第23回


[御伝鈔 より]
(しかる)翌日(にょくじち)集会(しふゑ)のところに、上人(親鸞)のたまはく。
今日(こおにち)は、信不退(しんふたい)行不退(ぎょうふたい)御座(みざ)を、両方わかたれべきなり、
(いづれ)の座につきたまふべしとも、各各(おのおの)示給(しめし)たまへと。
そのとき三百餘人(さんびゃくよにん)門侶(もんりょ)、みな(その)(こころ)をえざる()あり。
()時、法印大和尚位聖覚(ほふいんだいくわしょうゐせいかく)ならび(ならび)(しゃく)信空上人法蓮(しんくうしょうにんほうれん)信不退(しんふたい)御座(みざ)(べし)(つく)云云。 次に沙弥法力(しゃみほうりき)(熊谷直寛入道) 遅参(ちさん)し・・・(後省略)

 ある時善信心は法然上人に申し上げました。 「弟子の方々は大勢いますが、誰もみな師の教えを受けて、往生不退の道を歩みたいと願っています。 けれども、その新人が同一なのか異なっているのか、はっきりと知りわけることができません。 各々の信心を決定できれば、来生を共にする喜びと今生の朋友の交わりは、これにすぐものはないと思われます。」 法然上人は「それは大変よい考えです。さっそく明日、皆が集まる時に言ってみなさい」と言われました。 翌日、門弟たちが集まっているところで、記録係となった善信は「今日の集まりは、信不退・行不退と座を二つに分けて、 皆さんの了解したところをお試しになるのです。どちらの席に着くのかお示し下さい」と告げました。 三百有余人の弟子たちはみな釈然としない様子でした。その時に大僧都聖覚法印と法然房信空、 そして法力房蓮生などの人たちが信不退の座に着きました。 この時に数百人の弟子たちは、左右を見て口を閉ざしてしまいました。 人々が黙している間「善信も信の座に着きましょう」と言って自分の名を書き込みました。 しばらくあって法然上人は「私も信の座にならびましょう」と言われました。 数百人の門弟の中には、恥ずかしかる人や後悔の色を見せる人もあったということです

―――親鸞聖人正明伝 より―――



          

 ○<住職のコメント>

瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
 秋のこの時期、全国各地で真宗寺院で、親鸞聖人を憶う「報恩講」が勤まります。
その秋の夜に読まれるのが、親鸞さんの生涯とその教えを説く「御伝鈔・ごでんしょう」で、今月の場面は中でも有名な「信不退、行不退」の場です。 浄土真宗の教えは、「ただ念仏」ですが、その「南無阿弥陀仏のご利益」は、念仏を唱える『行』によるもののなのか、 南無阿弥陀仏を信じる『信』によるものかを問う場面です。
 結論は『信』なのですが、そこから私たちの課題は始まるのです。 「南無阿弥陀仏の信とは何か。」「信が在れば、南無阿弥陀仏を唱える必要ないのか」等々、いろんな疑問が湧いてきます。 実はその疑問を大事に暖めることが肝心なのです。

 私は「私たちの信は行を通して確立していく」と受け留めています。 「念仏とは何か」と考えていくことも大事ですが、所詮は自らの思いの世界です。 そうではなく、まず「なむあみだぶつ」と声に出して言うこと、それも何度でもです。 「南無阿弥陀仏」なんて訳の分からない言葉を、この私が口にするなんて、この私の自我意識が許しません。 それでも唱える中で、思いを突き抜けた真実なる世界が診えてくる、それが『信』です。

―――以上『顛倒』09年11月号 No.311より―――

真実の言葉メニュ

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