親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第30回

 4月から、法然さんや親鸞さんが、流罪にされた切っ掛けとなった、当時の佛教界を代表する、奈良の興福寺から朝廷に出された、興福寺奏状を読んでいます。8月は第五です。

興福寺奏状(こうふくじそうじょう)

第五 日本の神々に背く、というあやまり
日本では、仏教と神道とが、かたく結びついています。
だから伝教・智證・行教・弘法といった高僧も、みな神々をあがめています。
だのに専修念仏者は「もし、神々をおがめば、必ず、魔界に落ちるぞ」と言いふらしています。
いくら末法の世の中とはいえ、朝廷の天子や貴族を敬やまうのがあたりまえです。
まして神々を拝せぬなど、とんでもないことです。こんな危険思想は、もっと禁止せねばなりません。

−−−古田武彦著『親鸞 人と思想』より−−−



 ○<住職のコメント>

瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
第五は、日本の神々に背く失。
 神々との関係は、真宗にとってなかなか微妙な課題で、親鸞さんも、その八代目の子孫の蓮如さんもご苦労なさってきました。
 親鸞さんの主著である『教行信証』には、
「『涅槃経』(如来性品)に言わく、仏に帰依せば、終にまたその余の諸天神に帰依せざれ」 とあり、「神祇不拝」は浄土真宗の基本です。 しかし、それを原理主義的に受け取って、「魔界に落ちるぞ」という言い方になってしまったのは、勇み足で言いすぎでしょう。

 親鸞さんの「現世利益和讃」には、 天神・地祇はことごとく 善鬼神となづけたり これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり 願力不思議の信心は 大菩提心なりければ 天地にみてる悪鬼神 みなことごとくおそるなり とあります。また親鸞さんの御一生を曾孫の覚如が描いた『御伝鈔』にも神祇との関わりの場面があります。
 平太郎という門徒が用事で熊野大社に行かなければならなくなり、参ってもよいかと親鸞さんに尋ねるのです。 親鸞さんの応えは「念仏を中心に置いて、偏に身を清めるようなことをせず、参ってもいいですよ」というものです。 蓮如さんの御文には、「諸神は信じないが、おろかにしてはならない」「南無阿弥陀仏にみなこもれるもの」という表現があります。  瑞興寺に長くお出で頂いた中野良俊師は「神さんは、私には必要ないが、蹴っ飛ばすこともいらん」と仰っていました。 これらの教えから導かれることは、神々に恐れることなく、追従もせず、自分の中心である南無阿弥陀仏をはっきりさせ、 私には必須ではないけれど、神仏がうまく交じり合ってきた日本の伝統は認めていく。 というのが、念仏者の神祇との関わり方であろうと思います。
 天神地祇 天神は梵天王・帝釈天・四天王など、地祇は堅牢地祇 (大地の神)・八大竜王などを指す。

第五は、日本の神々に背く失。  これは微妙な課題です。確かに親鸞の著書「教行信証」には、 「仏に帰依せば、終にまたその余の諸天神に帰依せざれ」とい涅槃経の引用があり、 「神祇不拝」は浄土真宗の基本です。 しかし同時に、親鸞は、和讃で「南無阿弥陀仏をとなうれば 梵王帝釈帰敬す 諸天善神ことごとく よるひるつねにまもるなり ただ南無阿弥陀仏」を強調しすぎたことに対する批判です。 しかし念仏者に、お釈迦さまが不要かというと、そうではありません。 救い主とての阿弥陀さんと教え主としてのお釈迦さんという位置づけが明確なことが、 親鸞さんの浄土真宗の特徴です。これを「二尊教」と呼び、とても大切な概念なのです。
 一般に、人々が信じやすいのは、救主と教主が同じである「一尊教」で、とても分りやすいのです。 目の前の人が救ってくれるのですから。オウムの麻原なんかはこれですね。  でもこれでは、その救いの方向がはっきりしない、というか、間違ってもチェックが無いのです。   浄土真宗は「二尊教」です。

―――以上『顛倒』2010年8月号 No.320より―――

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