親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第63回

−−−【親鸞 生涯と教え より】−−−

 ○<住職のコメント>

 ◎今月は、親鸞さまが京都に戻られた一番大きな理由とされる、『教行信証』の事を取り上げます。
『教行信証』は親鸞の主著ですが、自説の部分は少なく、ほとんどが、種々の書物からの引用で出来上がっています。 そして、多くの先達方が述べておられる事を根拠として、「ただ南無阿弥陀仏」という、 師法然の教えを証しする形になっています。 その膨大な内容を見ると、いかに親鸞が、多くの書物を紐解いて学んでおられたかが、よく伺えます。  それには、先ず多くの書物を見ることができる、現代で言えば図書館が必要です。 関東時代に親鸞さまは、鹿島神宮によく足を運ばれますが、それは神宮の書庫に行かれていたと考えられます。 しかしどうしても地方では限界があり、より多くの書物に触れられる、 京の都にあるように、法然批判は、京都で行われていますから、 その中心で法然擁護の論戦を張ろうとされたとも考えられます。
 さて法然批判の中心は、栂尾の明恵というお坊さんです。 現代では紅葉の名所、栂尾高山寺。 深い山に籠って厳しい修行をされている、さぞや立派なお坊さんであったと思われます。 そのように「善行」を積んでいる人にとって、その根本である「菩提心」まで否定する、 法然の『選択集』は、決して許されないという事でしょう。 現代でも、自分で努力しない他人任せは、批判されますから。
 でもそこが、誤解なのです。 法然や親鸞の言う、「自力(の菩提心)の否定」とは、「人間の菩提心」の限界を言うのです。 それが人間のものである限り、どうしても、 「出来る事はするけれど、出来ない事はしない」と自分で自分の限界を決めてしまいます。 また、出来ると今度は、「自分が偉い」と舞い上がります。その程度だということです。
 そうではなく、出来る出来ないに関わらず、するべき事をしようとする、し続ける事ができる。 結果は阿弥陀佛にお任せするからこと、本当に「自力を尽くす」ことができる、 それが「他力(阿弥陀佛の力)の菩提心」ということなのです。 「自分でする」事は「あたり前の事だ」とも言えるでしょう。

―――以上『顛倒』2013年9月号 No.357より―――

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