親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第35回

親鸞の障害の大きな転機となった、 承元の法難の、きっかけとなった興福寺奏状を、 昨年4月から読んできましたが、いよいよ最後の第九の失です。

興福寺奏状(こうふくじそうじょう)
第九 国土を乱す、とういうあやまり
仏法と王法(天使の公の法)との関係は、ちょうど身と心とのように一致すべきものです。 だのに専修念仏者は、他の諸宗と敵対し、わたしたちと和解する姿勢をもっていません。 このように非妥協的な思想は、はやく禁止しなければ、とんでもないことになりましょう。 今回のような、全八宗が心を同じくして訴訟するという、 前代未聞のことをいたしますのは、事の重大さを思ってのことです。 どうか天子の御徳によって、 この悪魔のような雲がはやく風に吹き飛ばされることを願ってやみません。

−−−古田武彦著『親鸞 人と思想』より−−−



 ○<住職のコメント>

やねがわら
屋根瓦
第九 国土を乱す、とういうあやまり

最後に一番大きな問題が提起されました。 「国」の問題です。国と宗教との関係は、永遠の課題と言ってもよいほどの、 とても重い問題です。特に我が「浄土真宗」は「浄土」の真実の教えですし、 「浄土」とは「阿弥陀仏の国」なのですから、どんな「国」が、 本来の国なのかが課題をとなる教えです。 阿弥陀佛の願いと、人間の問題を解く説く「仏説無量寿」には、 次のような表現があります(抄訳)

 (阿弥陀佛は)そんな願いを立てて、計り知れない長い時間の功徳を積み、 浄らかな国を作り、既にはるかな昔に佛となり成り、 現にその国にいて教えを説いている。 その国は浄く安らかで悩みを離れ、覚りの楽しみが満ちあふれ、 着物も貯め簿のもそしてあらゆる美しいものも、 みなその国の人々の心の思うままに現れる。 快い風がおもむろに吹き起こって宝の木々をわたると、 教えの声が四方に流れて、聞くものの心の垢を取り去っている。〔大経上巻〕

 町や村の隅々まで物の教えがくまなく行き渡って、 この国に生きる全ての人々に人間としての障害を尽くすべき道が開かれる。 それによって、世界全体が平和を保ち、自然環境は美しく、 人間が自らの手で天候に異常を招いたり災害を起すことはない。 世界が豊かで人々が平安なのは、あらゆる兵力を持たないからである。 そのように人間を尊敬し信頼することを中心にして、まつりごとが行われている。 〔大経下巻〕

 まさに「浄土」の有り様が説かれていますが、それはそのまま、 私たちの現実の「国」の有り様を問う視点でもあります、もちろん、 人間は佛ではなく不完全な存在ですから、現実の国は浄土になることはありません。 しかし、「浄土」として示される事々が、現実の「穢土」性を知らせ、だからこそ、 何とかしていきたいという、すなわち「浄土建立」という、どのような人間も、 その存在の底に持っている至純な願いを、気付かせるのです。 「浄土」の働きに触れたその時、それまでは、 世間の常識を当たり前として麦門に生きてきた自分自身に気付き、 これからは、阿弥陀佛の願いを我が願いとして「真実に生きよう」と願う、 新しい「私」が、誕生するのです。 そしてその時、絶対なもんとおしていた「国」を、相対的なもの、 無常、変わり得るものとして受け留め直すことができてくるのです。

―――以上『顛倒』2011年2月号 No.326より―――

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