親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第31回

法然さんや親鸞さんが流罪にされ、4人の弟子方が死罪にされた、朝廷による 念仏弾圧、承元の法難(1207年・親鸞35歳)は、旧仏教界からの訴えで、 引き起こされました。その訴状が、奈良の興福寺から朝廷に出された興福寺奏状 で、念仏者の九つの失を挙げています。9月はその第六です。

興福寺奏状(こうふくじそうじょう)

第六「浄土」の意味に暗い、というあやまり

かれらのたいせつにする『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』の中にさえ、 ちゃんと念仏だけでなく、いままですすめられてきたさまざまの善行を積むように、とすすめてあります。 それだのに、井戸の中の(かわず)が大海を知らないように、かれらは「念仏だけ」を主張しているのです。

−−−古田武彦著『親鸞 人と思想』より−−−



 ○<住職のコメント>

瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
第六は、浄土の意味に暗い失。
 浄土真宗と名乗っている私たちですのに、「浄土の意味を間違っている」と、 指摘されるのは、とても皮肉なことです。
 確かに他宗にも『浄土』はあり、また 阿弥陀佛以外にも浄土はあって、それなりに大切にされてきたことなのですが、 どうもそこに、法然親鸞の浄土との決定的な違いがあるようです。

それでは、奏状にも挙げられている『観無量寿経(観経)』を観てみましょう。
 無量寿佛(阿弥陀仏)を観るお経ですから、ここには、阿弥陀佛の浄土を観察する方法と、浄土往生を願う私たちのあり方が説かれています。

浄土を思い浮かべるために観るもの(十三観)として挙げられていることは、
 1.夕陽 2.水の清らかさ 3.大地 4.豊かな樹木 5.仏法僧を讃える水 
 6.摩天楼の建物群 7.蓮華の座 8.阿弥陀佛、観音菩薩、勢至菩薩が蓮華に座す姿
 9.阿弥陀佛(無量寿佛)の永遠無限なる姿 10..観音菩薩の姿
 11.勢至菩薩の姿 12.蓮華の開く無量寿佛の極楽世界のありさま 
 13.西方極楽浄土に生まれんと願って池の上の仏像を観ずること、です。

 そのまま、宇治の平等院や大原三千院の往生極楽院の形ですから、興味深いですし、現代の私たちにも「浄土をイメージ」する助けになります。

 それではどこが違うのでしょうか。
それは観経で、十三観の次に説かれる『九品・くぼん』の部分です。九品とは「九種類」のことで、人間のあり方を九種に分けます。 ちなみに、現在の「上品・じょうひん」「下品・げひん」の言葉は、此処から来ているのですが、 上品上生、上品中生、上品下生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生、の九種です。

上品上生(じょうぼんじょうしょう)の人々とは、浄土往生を、誠実に深く願い、いのちを慈しみ殺さず、善行を修する人々です。 以下、下品中生に至るまで、努力精進の姿が続きます。 しかし最後の、下品下生(げぼんげしょう)とは、五逆十悪を為して、善行など修することが出来ず、苦に窮められ続ける人々です。 がそれでも、

「無量寿佛と称すると極楽浄土に往生する」と説いてあります。

 そうです。旧仏教は、九品を全て大切にしていました。
それに対して、法然親鸞は、下品下生こそが私たち「凡夫・ぼんぶ」の姿であり、 どのような善行もおよびがたい私たちを慈しんで阿弥陀佛は摂取不捨の誓いを建てて下さった、 その「本願・ほんがん」に憑む(たのむ・何もかも投げ出して信頼する)しかない、「ただ南無阿弥陀仏」だと説いたのです。

―――以上『顛倒』2010年9月号 No.321より―――

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