親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第36回

親鸞さんの一大転機となった、承元の法難の際の訴え、 興福寺奏状を昨年の4月から読んできました。今月は第九の二です。

興福寺奏状(こうふくじそうじょう)
第九 国土を乱す、とういうあやまり
仏法と王法(天使の公の法)との関係は、ちょうど身と心とのように一致すべきものです。 だのに専修念仏者は、他の諸宗と敵対し、わたしたちと和解する姿勢をもっていません。 このように非妥協的な思想は、はやく禁止しなければ、とんでもないことになりましょう。(後略)

−−−古田武彦著『親鸞 人と思想』より−−−



 ○<住職のコメント>

第九は、国土を乱す矢。
 親鸞から数えて八代目の孫である蓮如(れんにょ)さんは、 それまで「さびさびとしていた」本願寺を再興し、親鸞の教えを全国的に爆発的に広めます。 大阪にはとても縁の深い方で、今、大阪城の建っている場所には、 以前、蓮如の建てた大坂本願寺が在りました。 今の、大阪の町は、大坂本願寺の寺内町から発展したものですし、 大阪と言う地名自体が、大坂本願寺から西へ続く長い坂道から名づけられたと言われています。

 大坂本願寺は、信長、秀吉という、有数の戦国大名と敵対して、10年に渡る石山合戦を戦い、 1580年、遂に落城し、現在の東西本願寺に分割されるのですが、そのように、現実に世俗の権力と対峙し、 また教えとしても、在家を重んじる浄土真宗では、 信仰(仏法)を持って世俗(王法)の中をどう生きるのかが、特に大きな課題でした。

 蓮如さんは、全国の津々浦々に『御文』とか『御文章』と呼ばれる手紙を送って、 その教えを民衆に広めましたが、そこに「まづ王法をもつて本とし、仁義を先として、 世間通途の義に順じて、当流安心をば、内心にふかくたくはへて」 (『御文三帖十二』)という「掟(おきて)」があります。

 また、蓮如の日常の言葉を書き記した『蓮如上人御一代聞書』では、 「王法は額にあてよ、仏法は内心に蓄えよ」ととまれています。 この二つの言葉の微妙の差に、王法と仏法の関わりについての、 蓮如さんのご苦労が偲ばれます。

 「王法をもつて本とし、仁義を先として、世間通途の義に順じて」という 「掟(おきて)」を定めた事実をもって、蓮如さんはを世間に迎合した。 世俗の権力者であると批判する方もおられますが、そうでしょうか。 この「掟」は、「当流安心をば内心にふかくたくはへて」に重点があるとよむべきでしょう。 私たちは、阿弥陀仏の本願に、隋順して、浄土を願ってる生きる存在ですが、 現実は、どこまでも穢土であり、浄土ではありません。 穢土を浄土だと見誤ることは、大変な誤りです。 蓮如さんは、「世間通途の義に順じて」と、穢土をどこまでも引き受ける主体(私)の誕生を願い、 同時に「内心ふかくたくはへて」と、本当に現実を引き受けるということは、 浄土を願うところに、初めて成り立つのだと、強調されたのです。

  それは「王法は額にあてよ、仏法は内心深く蓄えよ」では、より明確でしょう。 このような蓮如さんのご苦労、また興福寺奏状の頃からすでに大きな課題である、信仰者の生き様。 それをどのように、この現代日本において、表現するのかが、 私たちの念仏者の使命(ミッション)です。 一人ひとりが『在日浄土人宣言』をするべき時です。

―――以上『顛倒』2011年3月号 No.327より―――

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