親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第29回

 4月から、法然さんや親鸞さんが、流罪にされた切っ掛けとなった、当時の佛教界を代表する、 奈良の興福寺から朝廷に出された、興福寺奏状を読んでいます。7月は第四です。


興福寺奏状(こうふくじそうじょう)

第四 よろずの善行をさまたげる、とういうあやまり
  専修念仏者は、他宗をそしり「造像起塔(ぞうぞうきとう)」というような善行をあざけります。
法然上人自身は智者ですから、そんなことはありますまいが、その門弟の中には、けしからぬ者がいて、一般の人々に、いろいろの悪行さえおそれぬようにさせています。

--古田武彦著 『親鸞 人と思想』より --



 ○<住職のコメント>

瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝

第四は、よろずの善行を妨げる失。
 佛教の伝統の中で、佛像を造り、寺院や佛塔を建てることは、とても大切なこととされてきました。 10円玉の絵柄にもなっている宇治の平等院や、三千院の庭にある往生極楽院などは、その典型です。 極楽浄土の有り様を形どった庭園、寺院を建てて、自らの極楽往生を願ったのです。 その素晴らしい、佛像や寺院建築を観ると、往時の方々の強い願いが伝わって、感動を覚えます。
 しかしそこで、法然さんや親鸞さんが問題にされたのは、 「その行いは結構なことだけれども、それだけが浄土往生、すなわち我らの救いへの道筋であるのなら、 それはほんの一部の、力やお金の有る人たちだけのものになってしまう」ということなのです。 「お釈迦様の説かれた救いの道は、そんな限られた者たちだけの“小さな”ものであるはずがない」という強い信念でした。 そして提唱されたのが、何時でも何処でも誰にでも、唱えやすく保ちやすい「念佛」だったわけです。 そうして初めて、佛様の救いが、一般大衆のものにまで広がったのです。 「造像起塔」をあざけったのではなく、南無阿弥陀佛を唱えるだけで、 「造像起塔」と同じご利益を頂けるのだということです。
 蓮如さんに「木造より絵像、絵像より名号」という言葉が ありますが、それに続いて「名号より唱名」と言うべきなのです。 南無阿弥陀佛を唱えるということは、まさに「声として現れる阿弥陀佛を造る」ことであり、 その形の無さが、より一層、自分自身のあり方が、南無阿弥陀佛の願いに吊り合うものであるのかという課題を明確にさせる 「称名」となっていくわけです。
また、奏状に「悪行さえおそれぬように」という批判がありますが、これも悪行を勧めたのではなく、 生活のために生き物を獲って命を殺している人たちや、商いをする人たちなど、 当時「悪行だから地獄落ちだ」とされていた人たちに、「そうではない、その身のままに念佛すれば、救いの道はあるのだ」 と説いたということなのです。


―――以上『顛倒』2010年7月号 No.319より―――

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