親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第27回

 親鸞が『選択集』の書写許された、その年(元久二年、一二〇五)の十月。 興福寺から朝廷に長文の奏状が出された。 専修念仏を、公権力によって禁止することを求める訴えである。 文章の執筆者は、南都に名僧といわれた解脱(げだつ)上人(しょうにん) 貞慶(じょうけい)。 しかも、これは、かれ個人の資格で書かれたものではない。 八宗同心の訴訟であり、興福寺は「僧網(そうこう)大法師」の位置にあったため、 八宗を代表したといわれる。 「八宗」とは、南都の六宗(三輪宗・成実(じょうじつ)宗・ 法相(ほつそう)宗。倶舎宗(ぐしゃ)華厳(けごん)宗・(りっ)宗)と 比叡山の天台宗、高野山の真言宗の総称だ。 だから、体制側の全宗教集団はこぞって法然の専修念仏集団に対する公然たる攻撃をはじめたのである。 今その長文を要旨をしめそう。


興福寺奏状(こうふくじそうじょう)

興福寺の僧網大法師(そうこうだいほうし)等が、おそれながら申し上げます。
天子の御判決を受けて、法然(沙門現空)がすすめる専修念仏宗の教えをただし、あらためられることを講こう、奏状。
右つつしんで考えるに、ひとりの沙門(さもん)(僧)がおり、 世に法然といっています。念仏の(しゅう)を立て、 専修(せんじゅ)(ぎょう)をすすめており、 そのことばは、むかしのすぐれた師匠たちに似ているけれども、その心は、多くの本来の仏の設に背いております。 今大体かれの(とが)(あやまち)を考えるに、 つぎの九箇条が考えられます。

第一 新宗を立てる、というあやまり
 わが国には、すでに八宗があり、ととのっています。 だから新たに一宗を立てる必要は、まったくありません。 そのうえ、もし、かりに一宗を立てるとしても、そのことを朝廷に奏状して、天子のお許しを待つのが当然です。 それなのに、それもせず。それなのに、私わたくしに一宗を名乗るのは、大変不当なことです。

−−−古田武彦著『親鸞 人と思想』より−−−



 ○<住職のコメント>

瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
 法然さんや親鸞さんが、流罪にされた切っ掛けは、当時の仏教界を代表する、奈良の興福寺から、朝廷に出された訴えです。 それを興福寺奏状と呼び、専修念仏者の失点を九か条挙げています。それらを観ると、逆に法然、 親鸞の唱えられた専修念仏の内容が、よく分りますので、今月からしばらく取り上げていきます。
第一は、新宗を立てる失。
「朝廷(天皇)の許し(勅許)を得ずに、私的に宗を立てた」ことが過失だと言うのです。
 ここに、日本における「公私」の理解が端的に現れています。
「公け」とは「大や家」で、「朝廷」のことだというのです。
 これに対して、専修念仏は「公け」とは「阿弥陀佛」だというのですから、 摩擦を生むのは、ある意味当然なことです。

 しかし、よく考えて下さい。朝廷は日本の国の中だけのことです。 それに対して、「阿弥陀」とは、永遠無限のことで、国家などを遥かに超えた概念ですから、 どちらに、「真実性」があるかは、明らかなことです。私たちの課題は、 そういう現実の限界の中でいかに真実を表現していくかなのです。

―――以上『顛倒』2010年4月号 No.316より―――

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